《中国が描く未来産業》
 中国政府は大きな成長が見込まれる最新先端技術を未来産業として重点領域に定めました。

・ 未来情報—具身智能

・ 未来情報—量子情報

 

《タイムスリップ 静岡と浙江が歩んだ時代》
 静岡県と浙江省は1982年に友好提携を結んで、来年45周年になります。

・ 1990年代 互いを知り、繋がりが深化する時代

・ 1980年代 好奇心が国境を越えた時代

 

《日中が生んだ奇跡》
 新城長有と袁隆平が拓いたハイブリッド米の物語

​・ 雑草にかけた奇跡 お腹いっぱいの未来を夢見た袁隆平

・ 新城長有が蒔いた「理論の種」

 

《静岡県上海事務所 石川祐介所長レポート 「中国の世界遺産を巡る」》
 中国には60もの世界遺産があります。その中でも特にユニークな遺産を深堀します。

・ 西夏陵-正史に編まれなかった西夏王朝の遺跡

・ 北京中軸線—中国が理想とする都城秩序の傑作

 

《中国豆情報》

・ Game Science  カップラーメン指数

・ ドローン  コカ・コーラ指数

・ 人型ロボット  ビッグマック指数

・ 低空+  スタバ指数

 

《中国喫茶の現代事情》

・ VOL4 「養生茶」文化の成熟

・ VOL3 「抹茶」人気上昇中

・ VOL2 「原製飲品」の市場拡大

・ VOL1 トレンド「新中式茶飲」

 

《中国の数学王 蘇歩青の足跡》

・ 数学者として台頭

・ 帰国 浙江大学へ

・ 実り多き仙台時代

・ 優秀な成績で日本へ留学

 

≪静岡県上海事務所 石川祐介所長レポート「上海今昔物語」》

・ 「陸家嘴」中国近代化の記憶を辿る

・ 「南京路」から「外灘」へ 屈指の観光地

・ 「静安寺周辺」下町風情と高級感の混在地

・ 「徐家匯」ポップカルチャーの集積地

 

≪ミニレポート≫

・ 姿を変えて残る「農民工」問題:高齢化、就労先の変化、そして新業態の光と影 (2026年10月)

・ 中国におけるソーシャルワークの現在と展望 (2026年9月)

・ 『谷子経済』 中国で拡大するIP消費の新潮流 (2026年8月)

・ 「日本語」専攻から「日本学」専攻へ (2026年7月)

・ 「ゼロ・ウェイスト」無廃都市への挑戦 (2026年6月)

・ 中国ペット経済の最前線 家族への「昇格」とデジタルが描く未来 (2026年5月)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当協議会では活動及び静岡県と中国との交流情況を紹介するために機関誌を発行しています。

<2026年>

No.144  NEWS LETTER(2026年10月号)

No.143  NEWS LETTER(2026年7月号)

No.142  NEWS LETTER(2026年3月号)

 

<2025年>

No.141  NEWS LETTER(2025年12月号)

No.140  NEWS LETTER(2025年10月号)

No.139  NEWS LETTER(2025年7月号)

No.138  NEWS LETTER(2025年3月号)

 

<2024年>

No.137  NEWS LETTER(2024年12月号)

No.136  NEWS LETTER(2024年10月号)

No.135  NEWS LETTER(2024年7月号)

No.134  NEWS LETTER(2024年3月号)

 

<2023年>

No.133  NEWS LETTER(2023年12月号)

No.132  NEWS LETTER(2023年10月号)

No.131  NEWS LETTER(2023年7月号)

No.130  NEWS LETTER(2023年3月号)

 

<2022年>

No.129  NEWS LETTER(2022年12月号)

No.128  NEWS LETTER(2022年10月号)

No.127  NEWS LETTER (2022年7月号)

No.126 NEWS LETTER (2022年3月号)

 

<2021年>

No.125  NEWS LETTER(2021年12月号)

No.124  NEWS LETTER(2021年10月号)

No.123  NEWS LETTER(2021年7月号)

No.122  NEWS LETTER (2021年3月号)

 

<2020年>

No.121  NEWS LETTER (2020年12月号)

No.120  NEWS LETTER (2020年10月号)

No.119  NEWS LETTER (2020年7月号)

No.118  協議会ニュース(2020年3月号)

 

<2019年>

No.117  協議会ニュース2019年12月号.pdf 

No.116  協議会ニュース2019年10月号.pdf

No.115  協議会ニュース2019年6月号.pdf

No.114  協議会ニュース2019年3月号.pdf

 

 

 

 

中国で最新のユネスコ世界文化遺産

 今回は、2025年7月にユネスコ世界遺産リストに登録された「西夏陵(せいかりょう)」をご紹介します。これは現在の寧夏回族自治区(銀川市)を中心に、チベット・ビルマ語系のタングート族が建国した西夏王朝(1038-1227)の遺跡で、約40平方キロメートルの範囲には、最大約23mの9基の王陵(王の墓)と、271基の臣下・親族の墓が点在しています。

 西夏王朝の歴史は、「黄巣の乱」の鎮圧で功績を挙げたタングートの一族が、唐の皇帝から李姓を賜ったところから始まります。北宋時代に独立を宣言し、チンギス・ハン率いるモンゴル帝国に滅ぼされるまで約190年間の歴史を歩みましたが、中華王朝の「正史」には組み込まれませんでした。

 この西夏王朝の立ち位置を理解するために、中華王朝の「正史」について簡単に触れましょう。中華の歴史においては、前代の王朝史を編纂することが正統な後継王朝の責務とされ、その系譜を伝える二十四史(『史記』、『三国志』、『宋史』など24の歴史書)が残されています。すなわち、正史とは正統な後継王朝が自らの正当性を証明するために編纂した歴史書で、その基準には儒教的な正統観が色濃く反映されていました。

 当時の正史の編纂を担っていた元は、華北地方で北宋と並び立っていた遼(契丹族)・金(女真族)を正統な王朝として認め、歴史書を編纂した一方で、西北地域で独自の発展を遂げていた西夏の歴史書は編纂されず、他王朝の歴史に断片的にのみ登場する国となりました。

ピラミッド状の墳丘と謎の文字

 この遺跡が世界から注目されたのは1930年代、ドイツ人飛行士、エーリヒ・フォン・カステル(Erich von Kästner)が飛行中に大小のピラミッド状の墳丘を撮影したのがきっかけでした。現場からは、漢字のような石碑が見つかったものの、この文字に関する記録が残っておらず、その解読は難航します。これを解く鍵となったのが、ロシアの探検家、ピョートル・コズロフ(Pyotr Kozlov)が1908年に数百キロ離れた内モンゴル南部のゴビ砂漠で発見していた文物でした。彼が発見した数千冊の仏教経典の中に、『番漢合時掌中珠』という「西夏語と中国語の辞書」が含まれていたのです。後年、この辞書が研究されることで、西夏文字が漢字の要素を用いて作られた「漢字とは系統を異にする独自の文字」であることが判明しました。1970年代からは本格的な発掘調査が行われ、この遺跡が中華王朝の正史に断片的に記録が残されていた西夏の遺跡だとわかったのです。

独自の文明を築いた西夏王朝

 西夏王朝は、独自の文字を生み出したほか、唐・宋の伝統を取り入れつつも、遊牧民の生活や仏教の教えを発展させて独自の文明を形成しました。

例えば、西夏陵の巨大な9基の陵墓は、いずれも中軸線からずらして建築されています。これは、研究者の一説によれば、中軸には鬼神が宿るとされ、長安のように「皇帝は天子(神の子)」として、中軸線上に皇居を配置した中国の伝統的な都城計画とは異なる概念を持っていた様子が伺えます。また、いずれも中軸線の西側に陵墓が設置されているのは、仏教の西方浄土信仰と関連付ける見方もあります。

文明の多層性を伝える西夏陵

 西夏は、中華王朝の二十四史には編纂されませんでしたが、近年の研究によって、独自の文字、建築、埋葬制度を生み出していたことが明らかとなり、その文明の足跡は「残すべき価値あるもの」として世界遺産リストに登録されました。

 私たち人類が学んできた歴史は、程度はあれども各国・地域の視点による「主観」が反映されています。しかし、その視点が変わると歴史は全く違うストーリーになるでしょう。西夏陵は、従来の中華文明における二十四史の枠組みを超えて、多様な文明が実在していたことを、現代の私たちに伝えているのです。

<現地への交通アクセス>

・最寄空港:銀川河東国際港(上海から約3時間)
・現地交通:同空港からタクシーで約1時間
・入 場 料:68元~(日本円で約1,600円~:2026年8月現在)
・訪問時期:酷暑・厳冬を避けた春(4~6月)・秋(9~10月)がお勧めです。

 

 2024年7月、「北京中軸線:中国が理想とする都城秩序の傑作」が ユネスコ世界文化遺産に選ばれました。単なる歴史的な建築物ではなく、儒教の概念が都市機能として表現されて現代に至る遺産であることが評価されました。

 この遺産の最大の特徴は「線」による街づくりです。エルサレムやパリなど歴史上の主要都市は、聖なる神殿や王宮など街の「中心」から放射線上に広がった街づくりをしています。しかし、北京は、天、皇帝、市民の住む場所を線として配置しているのが特徴です。北は市民が暮らす場(鐘鼓楼を中心とする商業街)、中央は皇帝の領域(紫禁城:現在の故宮)、南は中軸線を対称線として左右に天と農を祭る聖域(天壇、先農壇)が配置されて、一本の線を中心に、街の機能が配置されているのです。

 この中軸線の概念は、長安など他都市で以前から取り入れられていましたが、北京の街づくりにあたってこの概念を取り入れたのは、モンゴル民族の元王朝だと言われています。
 
元王朝の皇帝だったフビライ・ハンは、自らはチベット仏教を信仰していましたが、統治のためには庶民に広がる儒教を活用することにしました。そこで参謀で儒学者でもあった劉秉忠の献策により、儒教の経典『周礼』に描かれた理想の都の建築を目指します。儒教では「規則的で対称的なバランスを保っている状態」が調和のとれた理想像と考えられていました。このため線の各所に天、皇帝、市民の居場所を配置することで、最も調和の取れた街の姿を体現したのです。この手法は、その後の明、清、そして現代にも受け継がれていきます。

 ユネスコに評価されたのは、中軸線を「過去の遺物」で終わらせなかった点です。王朝が変わっても、「1本の線上で都市のバランスを保つ」考え方は、形を変えながらも引き継がれていきました。
 そして現代、中華人民共和国になった今も中軸線の北側には「鳥の巣(国家体育場)」が、南側には「北京大興空港」が作られました。
 
中軸線に沿って人が集まる場所を配置したのは、この思想を踏襲していると言われます。北京の街は、儒教が理想とする「調和」の姿を時代ごとに発展させながら、700年後の現代にも受け継がれているのです。

 中軸線は直線距離で7.8㎞ですが、実際に歩くと故宮や天安門など入場制限のため迂回が必要な場所もあり、各構成遺産に立ち寄っていけば実際は15~20㎞を歩きます。それでも2024年に世界文化遺産に認定されてから、このルートは中国現地でも大変な人気で、土産店の店主は、今や北京の3大名物は「万里の長城、北京ダック、北京中軸線だ」と笑います。景山、天安門、天壇などの構成遺産は、それぞれが深い歴史的な背景を持つ観光地ですが、これらを中軸線に沿って歩いて回ろうとする人が増えているのです。
 
早朝に北側の鐘楼・鼓楼をスタートすると、景山の頂上から、故宮の黄金の屋根が中軸線に沿って整然と並ぶ様子は圧巻です。厳重な警備が敷かれた天安門を横目に歩きながら正陽門の南に広がる前門大街に達すると、賑やかな商売人の声が聞こえてきます。威勢の良い呼び込みにつられて羊の串焼きを購入し、小腹を満たして南下すると天壇が鎮座しています。年に一度だけ皇帝が天と対話を交わした空間で心を落ち着かせ、夕暮れに永定門にたどり着けばゴールです。
 
天、皇帝、市民の調和を目指して作られた街並は、今も大きく変わることなく北京の中心部を貫いています。700年の歴史に触れる「線の旅」に、あなたも出かけてみませんか?