寄稿レポート

 

≪協議会ニュース

・ 2019年(6月号、3月号)   

・ 2018年(12月号、10月号、7月号、3月号)

 2017年(12月号、9月号、6月号、3月号) 

 

≪クローズアップチャイナ

・ 一九三七年竣工の『銭塘江大橋』(2019年7月)

・ 改革開放40年『今』、『昔』 海の玄関口(2019年3月)

・ 改革開放40年『今』、『昔』 人口問題 (2018年12月)

・ 改革開放40年『今』、『昔』 社会保障(2018年10月)


≪浙江人物紀行

・ 〜阿里巴巴(アリババ)創業者〜 馬 雲(2019年7月)

・ 新中国黎明期の激動の時代を生きた 周恩来(2019年3月)

・ 群雄割拠に時代に生きた 諸葛孔明  (2018年12月)

・ 滋渓から日本へ 徐福(2018年10月)


≪CHINA WATCHING≫静岡県日中友好協議会 交流推進員 横井香織による寄稿

・ 生活革命!! 寧波人の観光スタイル(2019年7月)

・ 留学する学生達へ、日中友好の架け橋に(2019年3月)

・ 就職戦線異状なし? (2018年12月)

・ いずこも同じ 大学生活は楽しい!(2018年10月)

 

≪ミニレポート≫

・ いよいよ本格化するか、中国のゴミ分別(2019年8月)

・   勃興期の中国のアニメビジネス(2019年7月) 

・ 空前の日本食ブーム、一過性か、定着するか?  (2019年6月)

・ 起死回生となるか、中国の「数字経済」 (2019年5月)

・ 中国国家プロジェクト:人工知能(AI)の今(2019年4月)

 

協議会ニュース

当協議会では活動及び静岡県と中国との交流情況を紹介するために機関誌を発行しています。


<2019年>

No.115 協議会ニュース2019年6月号.pdf

No.114  協議会ニュース2019年3月号.pdf


<2018年>

No.113  協議会ニュース2018年12月号.pdf

No.112 協議会ニュース2018年10月号.pdf

No.111 協議会ニュース2018年 7月号.pdf

No.110 協議会ニュース2018年 3月号.pdf

 

<2017年>

No.109 協議会ニュース2017年12月号.pdf

No.108 協議会ニュース2017年 9月号.pdf 

No.107 協議会ニュース2017年 6月号.pdf

No.106 協議会ニュース2017年 3月号.pdf


 

一九三七年竣工の『銭塘江大橋』

 銭塘江を南北にまたぐこの橋は上海−杭州−寧波をつなぐ交通の要でもあります。銭塘江大橋は橋梁建築家・茅以昇が設計建築を取り仕切った、中国が始めて独自に設計、建築した近代的大橋であり、初めての鉄道、公道両用の二層橋梁(下層線路橋は全長1322M、上層公道橋は全長1453M)であり、1934年8月8日に建設が始まり、1937年9月26日に完成しました。

 戦争中の1937年、44年、45年に部橋脚が爆撃・爆破などの被害を受け、長年にわたり使用できなくなったことがありますが、1964年、74年、93年、2000年に大規模な補修工事が行われ、現在作られる多くの橋と異なり、多くの鋼材や部品が交換可能な構造であることから、現在も元の橋脚が使われています。

 当初は50年間の寿命を想定していた銭塘江大橋は、2007年に橋の総合評価を行われ、極めて堅牢に作られていることが分かり、また列車通過時の橋の変形がわずかに増大していることが分かったため、貨物列車の通過速度を時速60キロメートルに制限しました。

 専門家によると、今後も橋を長く利用するための方策で、今後10年は問題なく、大切に使い続ければ、“100歳の誕生日”を現役で迎えることができるとみています。 

改革開放40年『今』、『昔』 海の玄関口

世界の港と結ぶ港湾に成長

 1978年当時、中国全土の港湾ターミナル停泊バースは735ヶ所、その内1万トン級以上船舶が停泊できる133ヶ所しかありませんでした。1990年代以降になって、港湾建設が加速され、近代的な深水型、大型化、専用化バースの整備が進みました。2017年、港湾ターミナル停泊バースは27,778ヶ所、1万トン級以上船舶用は,366ヶ所、1978年に比べそれぞれ37.5倍と17.8倍になりました。

 中国科学院予測科学研究センターが発表した「2018年世界トップ20コンテナ港湾予測リポート」によると、2018年の港湾別コンテナ取扱量は首位が上海、2位がシンガポールという順位は昨年と同じですが、寧波—舟山港が4位から3位に浮上し、昨年3位の深港は4位となり、また香港港は順位を5位から7位に下げ、釜山港と広州港がそれぞれ5位、6位に上昇しました。

 

コンテナ取扱量上位3港

 第1位・上海港:上海港は、8年連続で世界の港湾コンテナ処理量において1位の地位を維持してきました。上海港・洋山港エリア第4期ターミナルは世界最大の自動コンテナターミナルです。

 第2位・寧波—舟山港:寧波—舟山港の年間貨物取扱量は「10億トン」を超え、唯一の「10億トン」超えの大型港の地位を維持し、世界の港湾ランキングは「10回連続第1位」を達成し、年間コンテナ取扱量では2600万TEUを超え、世界の港では上位3位にランクされ、全国の港では第2位にランクされました。   

 第3位・深港:深港は長年にわたり、コンテナ取扱量で国内第2位、世界第3位を維持していました。 2018年のコンテナ取扱量は2,570万TEU、国内第3位、世界第4位のコンテナ処理量を達成しました。

 

 


 

寧波港・北侖港と上海宝山製鐵

 「大地の子」(作家山崎豊子)でモチーフとして登場する上海宝山製鉄所の建設は、新中国誕生以来、最大の国家プロジェクトとして、「改革・開放」政策後の中核プロジェクトであり、また日中協力の象徴として1978年に着手された。

 上海宝山製鉄所の建設過程で、輸入鉄鉱石を大型外航船から積み替える為の大規模な施設が寧波郊外の北侖港の建設が決まり、この建設にも日本が協力している。また、この時期、石炭輸入のために、寧波港・鎮海港でのふ頭建設が始まり、1978年は今日の寧波港発展の礎となる。

改革開放40年『今』、『昔』 人口問題

一人っ子政策を推進、不均衡を生む

 新中国が成立した1949年、中国の総人口は5.4億人でしたが、生活水準の向上と医療技術の発達により、改革開放が始まった1978年には9.6億人に激増し、経済社会の発展にとって大きな圧力となりました。このため、政府は計画生育政策、「一人っ子政策」を実施しました。
その後、人口構造の不均衡という問題が表面化し、2013年には夫婦の一方が一人っ子の場合は二人出産してよいことになり、2015年には一対の夫婦が二人出産できるよう全面的に政策の変更を行いました。これらの政策を通じ、人口構造のバランスを調整しつつ、2017年の人口は13.9億人に達しました。この間、女性の平均初婚年齢は21.4歳から25.7歳に、平均初出産年齢は23.4歳から26.8歳に上昇し、人々の生育観も変化し、出産する子どもを減らし、資質の高い子どもに育てるという「少生優生」という考え方が主流となりました。

人口流動、制限から緩和

 改革開放が始まった頃、戸籍制度等の制限もあり、中国の流動人口は非常に少なく、1982年の流動人口の全体に占める割合は0.7%でした。改革開放後は、政策の重心が経済建設、工業化、都市化にシフトし、農村に縛られていた労働力が都市部に大量移動し、2010年には流動人口は2.21億人に達し、その多くは長江デルタ、珠江デルタ、京津冀地域(北京・天津・河北)に集中しました。2014年には、原則、都市戸籍と農村戸籍が統一され、流動人口が都市に定住できるような政策が整えられ始め、全ての人が平等に発展する機会を持てるような社会を建設するという方向性が打ち出されました。

 1978年、中国の都市化率は17.9%だったのに対し、2017年には58.5%に達し、2010年から2017年にかけては特に中西部の都市化が加速し、住民の生活の質も改善していきました。多くの都市が農村からの移住の制限を緩和し、居住証制度が全面的に実施され、これら流動人口も、常住人口として社会保障制度を受けられるようになりました。

 

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改革開放40年『今』、『昔』 社会保障

ゆりかごから棺桶が激変、新たな社会不安
 社会主義計画経済の時代、中国では社会保障制度を構築するという考えはなく、現役労働者はその勤務する国営企業や集団所有制企業の内生する付属病院で病気の治療を受けることになって、国営企業と集団所有制企業は実質的にゆりかごから棺桶に入るまでその従業員の一生の面倒をみていました。農村部の医療は、医師は病院に所属するのではなく、中国政府の機関である人民公社に雇用されていたため、給料は政府から支払われ、その医師にかかるのは無料でした。

 それが、改革開放政策によって、企業は市場競争に晒されているため、その経営と直接関係のない社会保障の負担を企業本体から切り離され、社会保障基金を設け移管しました。併せて、養老(年金)、健康保険、失業、労災、出産などの社会保障基準が制定、運用されてきました。2013 年の三中全会で採決された決定では、皆保険の整備が明記されていますが、まだ未整備であり、現行の社会保障制度の問題点としては高齢化の進展に伴い社会保障に対するニーズが高まっているが、その保障能力は限られていること、都市と農村はそれぞれ別の社会保障制度になっており、不公平感が強いこと、都市部において企業セクターと政府行政機関はそれぞれ別の制度になっており、政府行政機関の職員と幹部は企業セクターの従業員よりはるかに優遇されていることがあり、このような二重社会保障制度のもとで不公平感が強まり、社会不安をもたらす一因になっています。

「看病難・看病貴」が社会問題化
 現在の中国における医療のなかで、2007 年ごろから社会問題となっているのが「看病難・看病貴」問題と呼ばれているものです。これは病院へ行くこと自体が難しく(看病難)、病院にたどり着けたとしても診療にかかる費用が高すぎて十分な医療が受けられない(看病貴)という問題です。中国の社会保障制度はまだすべての国民に十分に行き届いておらず、資金力のない人は病院にかかれない状況があります。医療分野においても市場原理が導入された結果、農村部ではこれまでほぼ無料で受けられた医療体制が崩壊、医師の偏在も起こり、「“看病難、看病貴”問題」は顕著となり、医療が行き届かなくなり、「農村合作医療保険制度」により、この農村部における医療崩壊立て直しが始まっています。


中日友好病院、保健医療サービスの近代化に寄与
 1979 年に開始された日本の対中国 ODAとして、医療の遅れなどの問題を抱えていた中国の保健医療サービスの近代化を進めるべく、1984年10月、北京の郊外に、最新の医療機器、医療設備を備えた中日友好病院が開院しました。また、病院建設と並行して1980年に、医療関係者を対象にした技術協力が始まり、日本全国の医療機関の協力を得て、医師、看護師などが現地に赴き、併せて中日友好病院の医療関係者が日本で研修を受け、カルテの書き方、検査手技、外来診療、手術ノウハウなど、医療技術が移転されました。

〜阿里巴巴(アリババ)創業者〜 馬 雲

 中国本土の起業家で初めて『フォーブス』に掲載された人物である馬雲氏(英語名: Jack Ma ジャック・マー、浙江省杭州市出身)はアリババ集団(阿里巴巴集団)の創業者であり、現在、董事長主席(会長)、ソフトバンクグループの取締役も務めています。


中国を代表するユニコーン企業・アリババを創る

 1964年に浙江省杭州市で生まれた馬雲氏は2度大学試験に落ちていますが、英語に関しては成績優秀で、卒業後、1988年に杭州電子工業学院で英語と国際貿易の講師になります。更に外国人観光客に無料の旅行ガイドをして英会話を学んだ、という話は有名であり、転機が訪れたのは、1995年に英語の通訳としてアメリカを訪問した際に、インターネットに出会い、その可能性、将来性に気づいた馬雲氏は帰国後、企業情報サイト「中国イエローページ(中国黄頁)」を立ち上げ、その後、現在のビジネスモデルの基礎となる1999年に企業間電子商取引 (B2B) のオンライン・マーケットのアリババ集団(阿里巴巴集団)を創立しました。


「独身の日」(11月11日)の取引額2,135億元を記録

 2003年に、Eコマースのショッピングサイトである「タオバオ(淘宝網)」を立ち上げます。「タオバオ」はその後、アジア最大のショッピングサイトへと成長し、2004年に、オンライン決済のプラットフォームである「アリペイ」をスタートさせています。消費者向けの電子商取引サービスである「タオバオ」では、中小企業の圧倒的な支持を獲得し、「タオバオ」から派生したモールサイト・Tモール(天猫)は消費者向け電子商取引サービスの市場をけん引し、インターネット上の決済と金融サービスを融合事業化したのがキャッシュレス決済「支付宝(アリペイ)」です。最近では、出前サービスやスーパーマーケット経営(O2O)にも乗り出し、オンラインビジネスで培った技術とノウハウを実店舗に展開しています。中国の「独身の日」(11月11日)という言葉を日本でも耳にすることが増えてきましたが、昨年の1日の取引額は過去最高となる2,135億元(約3兆4160億円)を記録し、アリババ集団の2019年3月期決算の売上高は前期比50.5%増の3,768億元(約5兆6,520億円)に上り、破竹の勢いで成長を遂げています。

新中国黎明期の激動の時代を生きた 周恩来

 中華人民共和国が建国された1949年10月1日以来、死去するまで一貫して首相をつとめ、毛沢東の信頼を繋ぎとめた周恩来(1898−1976年)。1972年に日本国首相の田中角栄(当時)と日中共同声明に調印したことでも知られています。

紹興、淮安、天津 

 周恩来は、1898年3月5日、江蘇省淮安県に生まれました。周家は元々魯迅と同じ浙江省紹興市を原籍地とする旧家で祖父の代に江蘇省淮安に移ったと言われます。周恩来は「自分は紹興人である」と度々発言しており、特別のおもいれがあったことがうかがえます。

 青年期、清朝が倒れ、革命の息吹が漂い、天津の南海中学を卒業後、1917年に日本へ留学し、東亜高等予備高校などに通いました。その後1919年に帰国し、政治活動に身を投じます。南海大学卒業後、祖国を救う道を探すという強い希望に燃えフランスへ留学し、急速に共産主義思想に目覚めていきます。1976年の死去まで中国の指導者として活躍し、特に外交を中心に大きな役割を果たしました。

松本亀次郎と周恩来

 周恩来が日本に留学した頃、日本を通じて西洋の近代文化を学ぼうとする、中国の若者が大勢やってきました。中国人留学生に対する日本語教育に生涯をささげたのが松本亀次郎です。掛川市出身の松本亀次郎は、中国人留学生のために設立された宏文学院で日本語教師をした後、37歳の時、1914年に東京で中国人留学生が学ぶ「東亜高等予備高校」を設立し、約40年にわたって中国人留学生約2万人に日本語を教え、その教え子の中には、中国初代首相の周恩来や文豪の魯迅なども含まれ、特に周恩来は自宅へ頻繁に招くほど親密な関係だったとされています。

 天津市にある「周恩来ケ穎超記念館」の元館長から、松本亀次郎の子孫に打診があったことから始まり、今年3月、関係者の尽力により、松本亀次郎と周恩来の等身大のろう人形が掛川市に寄贈されることになり、掛川市立大東図書館に設置されています。

 

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     【周恩来】     【浙江省紹興市にある周恩来記念館】

群雄割拠に時代に生きた 諸葛孔明

 諸葛孔明は中国後漢末期から三国時代、群雄割拠する時代に、蜀漢の丞相として、劉備に「三顧の礼」で迎えられ、赤壁の戦いで魏の曹操を破り、全国に名を轟かせ、天才軍師の活躍が「三国志演義」に記載されています。


諸葛八封村

 浙江省金華市蘭渓市の西へ18キロほどのところに位置する所に、鎮内に諸葛孔明の末裔一族が多く住む諸葛八卦村があります。

 現在約4,000人が住み、その住民の約80%、5人に4人は「諸葛」姓と言われています。

 この村が作られたのは、1340年頃で第27代宗主の諸葛大獅の時代です。諸葛大獅は、建築の専門知識があり、村の構造を綿密に設計した上で、諸葛一族の村づくりを始めたそうです。 

 

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【浙江省蘭渓市にある諸葛八封村】


 村の敷地内は、易(古代占法の一つ)の八卦(はっけ)の形に設計され、鐘池(陰陽魚太極図の形)を中心にして八本の小道が放射状に外側へ向かって延び、内八卦を形成しています。外側は8つの山に囲まれ、村を外界から隔離し、これが外八卦と言われています。村自体も小高い山の上にあるため、これまでの数々の戦乱から逃れ、守られてきたと言われています。何百年もの歳月を経ていますが、形を全く変えず、現在に至っています。

 

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【鐘池(陰陽魚太極図)】


 更に、村には現在でも200軒以上を超える明・清時代の建物がほぼ完璧な状態で残っていること等から、1996年11月に国務院の全国重点文物保護単位に指定されるとともに、国の「AAAA級観光地」にも指定されています。

滋渓から日本へ 徐福

 秦の時代の中国に徐福という人がいました。徐福は、長い間中国でも伝説上の人物でしたが、1982年、江蘇省において徐福が住んでいたと伝わる徐阜村(徐福村)が存在することがわかり、実在した人物だとされています。

徐福伝説
 秦の始皇帝の時代に、方士(方術を行なった人のこと)をしていた徐福は、秦の始皇帝に不死の薬を献上すると持ちかけ、莫大な資金を得て、紀元前219年に1回目の出航をしたものの、何も得ることなく帰国し、「鯨に阻まれてたどり着けませんでした」と始皇帝に報告しました。そこで、始皇帝は大勢の技術者や若者を伴って再度船出することを許可し、紀元前210年、浙江省寧波市慈溪蓬山から、若い男女ら3,000人を伴って2回目の出航をしました。実際、徐福がどこにたどり着いたかは不明ですが、史記の淮南衡山列伝によると「平原広沢の王となって中国には戻らなかった」とされています。一説によると、辿り着いた「平原広沢」が日本であり、彼らにより農耕・製紙などの技術が伝えられたとも言われています。

 天下統一後の始皇帝は、神仙の道に心を奪われ、「不老不死」の薬探しに躍起になっていました。万里の長城の建設などで多くの民を苦しめる始皇帝の政治に不満をいだき、新たな地への脱出を考えていたのかもしれません。もしかすると、最初から、徐福は不老不死の薬を持ち帰る気持ちなどなかったのかもしれません。そのため、多くの若者や技術者など3,000人もの人々を集め、秦を出発したとされます。

日本各地に残る徐福伝説
 日本各地には徐福伝説が存在しています。実際はどこにたどり着き、どこに居住し、どこに行ったかはわかりません。もちろん、徐福という人物の存在を証明する物もありません。しかし、徐福の伝説地はとても多く、中国から船出した徐福が日本にたどり着き永住し、その子孫は「秦」(はた)と称したとする「徐福伝説」が日本各地に存在しています。

 

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  【徐福 像】     【浙江省慈溪蓬山から出発したとされる徐福】

生活革命!! 寧波人の観光スタイル

今年度は、寧波の人々の生活の一端をいくつかのトピックスに分けてご紹介していきます。今回は、寧波では休暇をどう過ごすか、つまり寧波人の観光スタイルについてです。

 寧波の人々は、暑い夏も寒い冬の日も、休日になるとよく出かけます。週末や休日は、天気がよければ寧波一の繁華街である天一広場や、天一広場の西にある月湖に、多くの人が集まります。月湖は、緑あふれる広々とした公園で、周辺には史跡や記念碑、旧宅、博物館などが点在しています。人々はここを散策したり歌や踊りを楽しんだり、小さな遊覧船に乗ったりします。昼夕の食事どきには、近くのレストランは家族連れで満席です。

 日本に比べて祝日の少ない中国では、まとまった休暇がとれるのは1年に2回だけです。それは10月1日から始まる国慶節休暇と、2月の春節(旧正月)で、どちらも1週間ほどの連休です。日ごろ、都市部に住み多忙な日々をおくる寧波人は、豊かな自然が大好きです。連休を利用して、雲南省や新疆ウイグル自治区、チベットなど、中国内陸部へ大自然を求めて出かけます。旅の準備には、スマホが欠かせません。「携程」「去儿」「飛猪」などのアプリを使えば、高速鉄道や飛行機、ホテル、レストランなどの予約ができます。ユーザーによるコメントや評価を参考にしながら、自分で旅をコーディネイトします。

 海外旅行の場合は、オンライン旅行会社のツアーに参加します。欧米やアジア、もちろん日本へのツアーも出ています。日本では「爆買い」ばかりに注目が集まります。しかし実際は、日本各地の自然や文化、日本でしかできない体験、和食などを楽しみにしている人がたくさんいます。北海道でスキーを楽しみたい、奈良や京都で日本の歴史に触れたい、伊豆の温泉に行きたい、日本の田舎に行ってみたい、華道や茶道を体験したい、大相撲を見に行きたいなど、個人のニーズに合わせて、オーダーメイドの訪日旅行を扱う旅行会社も出てきました。富裕層の中には、健康診断ツアーや医療ツアーなどの訪日旅行をオーダーする人もいるようです。

 寧波からはこれまで、大阪と静岡に週2便ずつ、名古屋に3便、直行便が飛んでいました。今年4月末からは、ついに寧波・成田直行便が週4便、就航するようになりました。また、寧波駅前から上海浦東国際空港行きの直行バスも、運行しています。毎年、日本を旅行している寧波の友人は、便利になったと喜んでいます。今後、ますます寧波から日本を訪れる人が増えていくことでしょう。

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     【月湖の様子】        【去儿トップページ】

留学する学生達へ、日中友好の架け橋に

 浙江省の大学では、春節(旧正月)前後の1か月ほどが冬休みです。冬休みが終わると留学予定の3年生や大学院生は、留学の最終的な手続き、準備に追われます。寧波大学外国語学院日本語学科は、日本全国の大学と交換留学の協定を結んでいます。それは北から岩手大学、宇都宮大学、東京外国語大学、関西大学、兵庫教育大学、徳島大学、広島大学、筑紫女学園大学などで、毎年、25名前後の学生が1年間、日本に留学します。

 留学予定の学生たちに、日本で何をしたいのか聞いてみました。するとすぐに日本語や日本文化を本格的に学びたい、と返ってきました。体験したいことや行きたいところは、千差万別です。茶道や華道など日本の伝統文化に関心のある学生、日本中を旅行したい学生、和食やスィーツを味わいたい、温泉に入りたい、花火大会へ行きたい、アルバイト、アイドルのコンサートなど、興味は尽きません。共通しているのは、誰もが目的をもって日本にやってくることです。

 昨年、宇都宮大学に留学した唐さんは、1年間馬術部に所属し、部員として活動しました。授業が終わるとすぐ厩舎へ駆けつけ、馬の世話や競技会に向けて練習に励むという生活を送りました。彼女以外、部員は日本人ですから、そのような環境に身を置いたことで、生きた日本語を皮膚感覚で学ぶことができました。また、日本の若い世代の生活スタイルを、間近で見聞きし、体験もしました。宇都宮大学にやってきた各国の留学生との交流の機会もあり、彼女は留学という機会を最大限に活用し、充実した1年を過ごすことができました。このような体験談は、留学を希望する後輩にとって、大きな刺激となります。

 1年間の留学生活を終えると、学生生活は残るところ半年です。留学経験者の中には、日本の大学院へ進学を希望する学生や、日本企業への就職を考えている学生もいます。学生たちには、日本で学び生活した経験をもとに、日中友好の架け橋になってほしいと思います。

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【留学生のハロウィーンパーティー】【宇都宮大学に留学の唐さん、お気に入りの馬と】

就職戦線異状なし?

 急に気温が下がり、雨の日が続く寧波の初冬。いよいよ就職活動本番です。2019年6月に卒業予定の学生は、卒業後の進路(就職か進学か)を決め、その準備に入っています。今回は、寧波大学の就職事情をお伝えしましょう。

 寧波大学外国語学院日本語学科の4年生60名の内、就職希望者は毎年40名前後です。その就職希望の学生たちは、3年生後期には授業で「商務文書」などを学び、企業見学に出かけます。大学では、11月に外国語学院主催の企業招聘会(求人説明会)が、12月には全学対象の企業招聘会が開催されます。3月になると4年生は、卒業論文に取り組みながら、インターンシップで企業に体験入社する学生も出てきます。

 では、どんな職種が学生たちに人気があるのか、直接聞いてみました。すると「公務員です。安定と高給が重要ですから。」「教師も人気があります。」と、返ってきました。もちろん日本語を使う仕事に就きたいという学生も、少なくありません。

 ただ、日本語学科の先生方によれば、最近は少しずつ学生の希望や考え方が変化しているようです。経済発展が目覚ましく景気のよい中国、とりわけ浙江省では、省政府の方針で、外資導入より地元の中小企業の発展を優先してきました。現在は多くの優良な中小企業が、若い人材を必要としています。学生たちは、自分の能力を発揮できる会社、資格取得や海外経験などのチャンスがある会社を求め、そこで実績や経験を積んだのち、さらに給与など待遇のよい企業へ転職しようと考えるようになりました。そういえば、寧波で知り合った30代の中国人は、みな2、3回、転職を経験していましたし、次を考えている人もいました。安定志向から、経歴を高めて次のチャンスをつかむ、という新たな働き方を選ぶ人々が、中国の都市部には増えているのです。

 いずれにしても、せっかく4年間日本語や日本の文化を学んだのですから、ぜひ日本語を生かして仕事をしてほしいと思っています。

 

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【企業見学(寧波宝新)】          【活気にあふれる就職説明会】

いずこも同じ 大学生活は楽しい!

 スマホ禁止、男女交際禁止、朝7時から夜10時まで勉強…。これは、中国のある高校のルールです。高校では、勉強漬けの厳しい生活を強いられます。それを乗り越え、みごと大学に入学した学生の生活のようすを、お伝えしましょう。

 大学に入学すると、学生はほぼ全員、大学の寮に入ります。寮費は1200元/年(1元=約17円)で、学費とともに支払います。寧波大学の場合、ほぼ半数の学生は浙江省出身で、他は全国からやってきます。寮は4人部屋で、同じ学部の学生が室友(ルームメイト)です。部屋にはベッドや机が備えられ、トイレ、シャワーもあります。ただしガスがないため、料理はできません。食事は、大学の食堂などで、すべて外食です。(こっそり自分たちで作ることもあるようですが)

 学生たちの生活を支えているのは、「農貿」と呼ばれる学生街と、スマートフォンです。「農貿」は,大学に隣接する学生街です。スーパーやレストラン、美容院、ブティック、屋台など100軒前後の店舗があり、いつも学生でにぎわっています。レストランは、地元の料理だけでなく、四川料理や火鍋、麺類、日本食などそろっていて、値段が安く量も多い。お昼時や夕方は、どの店も友人と楽しく会食する学生で満員です。

 あるとき、「A4のコピー用紙は、どこで買えるの?」と学生に尋ねました。すると、「淘宝です。」「いや、京東の方がいいかな。」と返ってきました。そうです。日用品から衣服、靴、化粧品、書籍、生鮮食品にいたるまで、ありとあらゆるものが、「淘宝」や「京東」などのネットショップで買えるのです。支払いも、スマホで済ませます。早ければ翌日、遅くとも数日中に、大学内外のスポットで商品を受け取ります。そうそう、11月11日は、年に一度のセール日です。今年は何を買うか、そろそろ決めておかないと…。

 学生の平均的な生活費は、1500〜2000元/月です。アルバイトをしている学生は少なく、親からの仕送りが、学生生活を支えています。

 

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【買い物も支払いも全てスマホで】       【活気にあふれる学生街】

いよいよ本格化するか、中国のゴミ分別

 中国では年初以来、北京、上海、広州などの超大型都市で生活ごみの管理をめぐる法律の改定や制定が相次いで行われ、上海では7月1日から「史上最も厳しいごみ分別措置」と言われる「上海市生活ごみ管理条例」が施行された。

 中国ではこれまで、ゴミは基本的に丸ごと捨てるものだと思われてきた。燃えるゴミと燃えないゴミ、さらに有害ゴミを分別せずに、一括で捨てるのが普通であり、段ボール、新聞紙、ペットボトル、アルミ缶などの金属類は、専門の業者に売れば換金できるので、中国では長い間ゴミでないと考えられていた。しかし、近年、それらを取っておくことを面倒くさがる人が増え、ゴミ箱に捨てるケースが増えた。大都市ではゴミ箱からこういう資源ゴミを探し出す「拾荒者」(ウェスト・ピッカー)の人数が少なくない。

 なぜ、上海が今回ゴミ分別を厳しくしたかというと、理由は二つあると考えられる。一つは、上海は中国最大の都市であり、ゴミ大都市でもあり、人口は2600万人を超え、東京の約2倍。ゴミ処理は喫緊な課題となっている。2018年に、上海市が生み出したゴミの量は、毎日2.6万トンで、年間900万トンを超えた。毎日このゴミを運送するために必要な、2.5トンのトラックゴミ収集車は1万台以上になった。もう一つは、上海は中国に施策を広めるモデル都市であり、中国は2020年末までに、全国46の大都市にゴミ分類とゴミ処理システムを完備させる目標を掲げ、中国全体がゴミの減量、リサイクル利用に力を入れるためとみられる。

 条例の規定によると、個人が分別を行わずにごみを捨てた場合、最高で200元(約3200円)の罰金が科され、事業者が分別せずに投棄・運搬した場合は最高で5万元(約80万円)の罰金が科されることになっており、同条例は「史上最も厳しいごみ分別措置」と言える。また、条例は、各家庭で▽「生ごみ」(食品、植物)▽「乾いたごみ」(紙類、骨、貝殻)▽「リサイクル」(瓶、衣類)▽「有害」(電池、薬品)――の4種類に分け、朝と夜の決められた約2時間内に置き場に捨てることを求める内容。

 中国では、ごみ分別の機運が高まるなか、「中国で最も厳しい分別規制」だが、違反者を取り締まるための監視が強化され、市民生活にも影響が出ている。市内の集合住宅などでは条例施行前から既に分別が始まり、1〜6月下旬に1224件の違反が確認され、指導で捨て方が改められた件数は7822件に上った。しかし市民には「肉のついた骨はどこに分別すればいいのか」、「捨てられる時間帯が通勤、勤務時間と重なってしまう」などと困惑の声が出ており、条例の浸透には時間がかかりそうである。

 ゴミの分別に慣れている日本人は、当たり前だと感じるかもしれないが、この条例は観光客のこんなところにも影響がでている。例えば、ホテルのアメニティ。宿泊施設が無料で提供していた使い捨ての歯ブラシ、クシ、スポンジ、ひげ剃り、爪切り、靴拭きなどの備品は、ホテル側が自ら進んで提供できないことになった。これは、使い捨ての製品の提供を制限することによって、ゴミとなるものを減らそうという試みであり、必要なものは持参するか、ホテルに申し出ることになる。

 この条例をどう受け止めているでしょうか。SNSなどでは、賛否両論のコメントがよせられている。「とても良い!全国で広がってほしい」、「観光客も例外ではない。環境を保護することはみんなの責任だ」と、環境を守る施策を評価する意見もあれば、「わざわざ面倒なことをするために、上海に行かない方がいい」、「もう少し移行期間が必要だ」など、分別の煩わしさや罰則の厳しさに戸惑う声もある。

 

(ロイター記事等を参照に整理)

勃興期の中国のアニメビジネス

 中国版ツイッター・新浪微博の「中国人に影響を与えた日本のアニメTOP10」によると、
近年の人気作から過去の名作まで、日本のアニメや漫画が幅広く中国人に受け入れられていることが垣間見られる。

 ランキングトップテン:第1位「ドラえもん」、第2位「スラムダンク」、第3位「ドラゴンボール」、第4位「キャプテン翼」、第5位「NARUTO -ナルト、第6位「ONE PIECE(ワンピース)」、第7位「ちびまる子ちゃん」、第8位「タッチ」、第9位「BLEACH(ブリーチ)」、第10位「千と千尋の神隠し」。

 中国のアニメーション産業が劇的に変化する傾向がより先鋭化し、本格的な成長期に差し掛かっている。これまで「クール・ジャパン」の象徴とされてきた日本のマンガ・アニメがホットスポットになっている。マンガ雑誌の編集部に中国人作家の作品が持ち込まれ、地上波でアニメ化される作品もあり、また日本の優秀なアニメーターを厚待遇で募集する中国企業も出てきている。

 急速に存在感を増す中国の背景には、国をあげた国産マンガ・アニメ振興策がある。各地でアニメーターを養成する「基地」を設立、世界に打って出るアニメや漫画を国策として育成していることがうかがえる。

 今年5月、第13回となる中国国際動漫節(China International Cartoon &Animation Festival*動漫はマンガとアニメを同時に指す言葉))が浙江省杭州市で行われた。現地では世界の20カ国・地域から193の企業が出展し、ブースを開設した。

 その中には、展示会に米国のディズニー本社が初めて参加し、これは同フェスティバル史上、画期的であるとみられ、また米国のソニー・インタラクティブエンタテインメント、日本最大の玩具企業バンダイ、韓国最大の漫画プラットフォームWebtoonも参加したことが注目された。

 杭州市は、中国で最も発展したインターネットとデジタル経済産業を有し、デジタル技術と結合した豊かな文化的良質さと物語的要素により、多くの若手アーティストとテクノロジーの起業家によって、杭州を固有のスタイルを備えた「漫画とアニメの首都」へと変え、漫画とアニメの発展に支えられて、かつてマルコポーロが称賛したこの東洋の都市はより多くの多様性を持った活力ある魅力都市へと変貌しようしている。

 杭州市の西湖にゆかりがある、中国で誰もが知っている伝説『白蛇伝』は、日本の映画史上で初の長編カラーアニメ映画「白蛇伝」が1958年に発表され、時は60年後、中国の映画製作会社が発表したオリジナル・アニメ映画「白蛇」が現在制作されている。

 同テーマによる中国製のアニメ「白蛇」が半世紀をまたいて新な出会いとなり、東洋的な要素の美しい表現と洗練された制作技法によって、このラブストーリーは新たな命を吹き込まれ、杭州を舞台にした中国版「リトル・マーメイド」の美しさと魅力を世界に伝えられようとしている。

 

(中国版ツイッター・新浪微博ブログ等を参照に整理)

空前の日本食ブーム、一過性か、定着するか?

 「世界で最も人気の食べ物」の調査によると、第1位はイタリア料理で、ピザやスパゲッティが評価され、平均人気度は84%に達し、次いで中国料理が78%、日本料理が71%、タイ料理とフランス料理が共に70%の調査結果がでています。

 ここ数年、世界で日本食ブームが起こっている中で、中でも中国は何度目かの日本食ブームがあり、これまでは中国での日本食ブームは日中関係を反映して、人気が高まったり、陰りを見せたりを繰り返してきています。

 北京では、1970年代の終わりから、外国人用高級ホテルで日本人駐在員向けの日本食レストランが開かれるようになり、1980年代初頭には広州の天鵝賓館内にも日本食レストランが開業し、80年代末からは中国各都市で日本人の個人経営店も開かれました。1990年代後半からは食べ放題を中心とする日本食レストランが増加し、更に味千ラーメンなどのラーメン専門店の出店が出始め、一般の中国人客が来店するようになりました。

 上海では、1989〜90年に、日系高級ホテルの花園飯店(ホテルオークラ上海)に日本食レストランが開業し、また個人経営の日本食レストランが続々と開業し、1990年代末までには多くの居酒屋や日本食レストランが見かけられるまでに増えました。

 1990年代までは、日本料理は高すぎてお腹がいっぱいにならないというイメージがつきまとっていましたが、2000年代に入ってからは日本料理の流行・ブームの兆しが見え始め、勃興する新中間層の増加と同調して、今日の状況に至っています。

 数字を見ると、中国ではここ5年間で3倍以上増え、店舗数は既に35,000店を超えています。日本食レストランが多いのは上海、次いで北京、広州、深といった大都市が中心となっています。店舗数では 10,600店舗(2013年)から27,745店舗(2015年) 35,047店舗(2016年)になり、世界第1位になっています。地域別では、全ての省・直轄市・自治区で増加し、古い数字になりますが、2015年時点で、広東省が4,668店舗(第1位)、上海市が2,936店舗(第2位)、江蘇省が2,503店舗(第3位)。北京市は1,321店舗になりました。

 今、起きているブームは日本料理“もどき”から本物嗜好へと質が深化し、広がり方も大都市から中都市へと伝播しており、過去のブームとは段違いの様相を見せています。日本食ブームが起きている背景には、「日本食の繊細さや気使いが理解されたから」との見方もありますが、2015年以降の訪日ビザ発給の大幅緩和によって中国人の日本旅行者が急増したことも理由のひとつにあげられ、中国人観光客が中国のSNSに投稿する写真・記事の伝播により「本場で味わった日本食を中国でも楽しみたい」というニーズが高まった結果といえ、また、日本で放映された連続ドラマの「深夜食堂」、「孤独のグルメ」、「かもめ食堂」などが中国で放映され、アットホームな雰囲気をかもす灯りの小さく、狭い店舗、使い込んだ鍋や食器、料理人が客とさりげない会話をしながら、目の前で作る料理が特に若い世代に影響を与えたことが理由にあげられます。
 
 今や日本食は日本食レストランで提供されるだけでなく、家庭内でも供されるようになっています。油をあまり使わないことが中国で高まっている健康志向とも合致し、食生活の一部に受け入れられつつあるともいわれています。こうして日本食が浸透するにつれ、これからますます消費量は増加すると考えられます。

(アリババ・海外展開ブログ等を参照に整理)

起死回生となるか、中国の「数字経済」

 毎年3月に開催される中国の全人代で、例年のように「全人代注目ワード」が話題になるが、今年の全人代で特に注目されたのが「数字経済」である。中国語で「デジタル経済」の意味だが、中国政府はこれを経済成長の新たなけん引役、エンジンにしようとしている。

 中国では、デジタル経済の中心となるインターネット市場は巨大であり、大勢の若いネットユーザーが支えている。デジタル経済は、一般的に情報通信技術(ICT)によって生み出された経済現象を指していて、インターネットビジネスやデータ関連サービスなども含まれると認識され、経済・社会の活性化の可能性を秘めており、イノベーションや、経済成長、社会の繁栄などに恩恵をもたらすと指摘する。

 また、BATと呼ばれる、インターネット業界の御三家であるバイドゥ、アリババ、テンセントがそれぞれ独自のプラットフォームを構築し、これらは業界全体と周辺ビジネスのインフラとして活用され、新しい分野においては、府は規制よりも企業による試行錯誤を優先させていることからデジタル経済の更なる発展に良い環境を与えている。

 2016年に浙江省杭州で開催された20カ国・地域首脳会議(G20)で、「G20デジタル経済発展と協力イニシアティブ」が発表され、翌年2017年3月に行われた全人代で李克強首相が「数字経済」という言葉が初めての政府活動報告に盛り込んだ。また、中国情報通信研究院公表の「2017中国デジタル経済発展ホワイトブック」によると、2016年の中国デジタル経済の規模は22.6兆元となり、国内総生産(GDP)総額に占める割合が30.3%に達したとみられる。

 デジタル経済は、雇用においても重要な役割を果たしている。2017年の同経済の就業者は1.7億人と、全就業者の22.1%を占める。産業別内訳をみると、農林水産業が79万人、鉱工業が5,054万人、サービス業が1億2,016万人となり、7割がサービス業に属し、2007年の就業者は4,411万人に過ぎなかったことから、デジタル経済は10年間で1.3億人の雇用を生み出したことになる。併せて中国では、年間100万人以上の理工系卒業生を生み出し、増加が顕著な理工系人材がデジタル経済発展の頭脳となっている。

 その一方、中国経済を取り巻く環境は変化し、今後は成長ペースが鈍化するとみられている。第一に、デジタル経済の発展に伴う「ギグエコノミー」)の拡大である。ギグエコノミーとは、インターネット経由での単発の仕事を請け負う働き方を意味し、先進国では多様な働き方を可能にする一方で、相対的貧困を生み出す温床になる。第二は、個人消費の減速であり、伸び率は2009年を境にほぼ一貫して鈍化しており、今後低調に推移すると見込まれる。第三に、デジタル経済の規範化を進める動きが強まり、政府の監視を強化した結果、一世を風靡したシェア自転車も市場が飽和すると同時に退会時に返ってくるはずの保証金が返金されないなどの問題が表面化し、淘汰期に突入した。

 このように爆速に発展するデジタル経済を代表とする「ニューエコノミー」に期待が高まっているが、一方で中国経済をめぐっては過剰生産や国有企業の改革など多くの課題を抱える「オールドエコノミー」の比重がまだかなり高く、成長性をめぐってはニューエコノミーとオールドエコノミーとで明暗が分かれているが、「数字経済」に代表されるニューエコノミーが中国経済の救世主になるかどうかは未知数であり、予断できない。

 

*毎経ネット、新華ネット等の記事を整理編集

中国国家プロジェクト:人工知能(AI)の今

 経済成長が鈍化し、いわゆる「新常態(ニューノーマル)」に突入した中国では、賃金の上昇や労働人口の減少に対応した経済構造の転換が求められており、従来の労働集約型産業から知識集約型産業への移行が重要な課題となっている。

 中国において、人口智能(AI)は、新規産業創出や産業発展を実現するための中核技術であり、新たな成長要素であると位置づけられている。2017年7月に公布された「次世代AI発展計画」では、AIによって国家のイノベーション能力を高め、2030年には中国が世界のリーダーになることが目標として掲げられている。官民の役割分担は、民間企業が主体となってAI産業を創出し、政府は資金や規制面から企業を支援する、というものである。

(1) 自動運転(スマートカー):百度(バイドゥ)

(2) 都市電脳(スマートシティ):阿里雲(アリババグループ)

(3) 医療画像認識(ヘルスケア):騰訊(テンセント)

(4) 音声認識(サウンドリコンジネーション):科大訊飛(アイフライテック)

 

(1) 自動運転(スマートカー):百度(バイドゥ)

 自動車産業、AI産業各社との提携を模索する。車輛などのハードと、百度のAIシステムとの融合を進める。百度はApollo(アポロ)計画をスタートさせ、オープンソース方式として、「レベル4(特定エリアでの完全自動運転)」の自動運転バス「アポロン」を実用化した。日本でもSBドライブが開発中の遠隔運行管理システム「Dispatcher」と百度の「Apollo」をシステム連携させることで、両社は日本の公道での自動運転バスの実用化を目指す。

(2) 都市電脳(スマートシティ):阿里雲(アリババグループ)

 交通、エネルギー、水道などの基礎施設や公共インフラをすべて数値化する。アリババグループのクラウドコンピューティング子会社、阿里雲がビッグデータからの掘り起こしを行い、都市のもつ公共資源をレベルアップさせることから始まる。例えば交通資源とは、時間資源と空間資源を包括し、 杭州市ではでは、AIにつないだモデル地区の交差点の信号制御の実証実験が行なわれている。

(3) 医療画像認識(ヘルスケア) : 騰訊(テンセント)

 医療映像の分野では騰訊(テンセント)が全国のトップにあり、「優図実験室」、「AI Laboratry」、「架構平台部」など人工知能研究部門の力を結集し「騰訊覓影」というAI医学映像産品を開発する。

(4) 音声(サウンドリコンジネーション):科大訊飛 (アイフライテック)

 科大訊飛は百度、アリババ、騰訊というビッグネームに比べ、知名度は低いが同社の2010年における音声識別率は60.5%だったのが、今では95%に上がっている。テキスト音声合成の品質(自然性・明瞭性・話者性)を競う国際ワークショップのBlizzard Challengeでは12年連続トップの成績である。

 国を挙げて大々的にAI導入を進める中国であるが、同分野での様々な国際競争力を比較すると、アメリカが圧倒的に世界をリードしている状況であり、中国が世界のリーダーになることは容易ではないが、中国のAIには官民連携体制といった優位な点も存在する。

 

(21財経捜索等の掲載記事を整理)