協議会ニュース

改革開放40年『今』、『昔』 人口問題

一人っ子政策を推進、不均衡を生む

 新中国が成立した1949年、中国の総人口は5.4億人でしたが、生活水準の向上と医療技術の発達により、改革開放が始まった1978年には9.6億人に激増し、経済社会の発展にとって大きな圧力となりました。このため、政府は計画生育政策、「一人っ子政策」を実施しました。
その後、人口構造の不均衡という問題が表面化し、2013年には夫婦の一方が一人っ子の場合は二人出産してよいことになり、2015年には一対の夫婦が二人出産できるよう全面的に政策の変更を行いました。これらの政策を通じ、人口構造のバランスを調整しつつ、2017年の人口は13.9億人に達しました。この間、女性の平均初婚年齢は21.4歳から25.7歳に、平均初出産年齢は23.4歳から26.8歳に上昇し、人々の生育観も変化し、出産する子どもを減らし、資質の高い子どもに育てるという「少生優生」という考え方が主流となりました。

人口流動、制限から緩和

 改革開放が始まった頃、戸籍制度等の制限もあり、中国の流動人口は非常に少なく、1982年の流動人口の全体に占める割合は0.7%でした。改革開放後は、政策の重心が経済建設、工業化、都市化にシフトし、農村に縛られていた労働力が都市部に大量移動し、2010年には流動人口は2.21億人に達し、その多くは長江デルタ、珠江デルタ、京津冀地域(北京・天津・河北)に集中しました。2014年には、原則、都市戸籍と農村戸籍が統一され、流動人口が都市に定住できるような政策が整えられ始め、全ての人が平等に発展する機会を持てるような社会を建設するという方向性が打ち出されました。

 1978年、中国の都市化率は17.9%だったのに対し、2017年には58.5%に達し、2010年から2017年にかけては特に中西部の都市化が加速し、住民の生活の質も改善していきました。多くの都市が農村からの移住の制限を緩和し、居住証制度が全面的に実施され、これら流動人口も、常住人口として社会保障制度を受けられるようになりました。

 

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改革開放40年、『今』・『昔』

中国経済、40年で200倍に

 今年は、中国が「改革・開放」路線を打ち出して40年が経過します。1978年12月、共産党第11期中央委員会第3回全会(3中全会)で、経済成長こそ最重要だとする新たな政策に大きく舵を切りました。
 1978年当時、中国の国内総生産(GDP)は3,679億元(現在のレートで約6兆3,300億円)。それが2017年は82兆7,122億元と約225倍に膨らみました。輸出額では1978年の98億ドル(同1兆650億円)が、2017年には2兆2,635億ドルと約230倍になりました。為替レートや物価変動で単純比較はできないが、40年近くで経済規模が200倍前後の変化を遂げたことが感覚的に理解できます。

浙江経済、40年で330倍に

 1978年当時、浙江省の域内総生産(GDP)は157億元(現在のレートで約2,700億円)、中国全体の4.2%を占め。それが2017年は5兆1,768億元と約330倍となり、中国全体では6.2%に上がました。一人当たり平均のGDPでも1979年の331元から2017年は91,551元へと、277倍となりました。今日の浙江は、改革開放政策の最大の恩恵を受けた省となっています。

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|| 静岡県日中友好協議会が誕生 ||
 改革開放の前年1978年、ケ小平副首相が来日し、日中友好フィーバーが起き、日中平和友好条約も結ばれ、静岡県でも中国とこれから独自で交流を考えなければならないという新たな機運が一気に高まりました。翌1979年、県内の各界各層のトップが発起人になって、「思想信条は問わず、官民一体となって、思想信条を超えて日中交流の一遍で組織を作りましょう」と呼びかけて誕生したのが『静岡県日中友好協議会』です。

 

|| 日中経済交流シンポジウムを開催 ||
 誕生したばかりの静岡県日中友好協議会は、翌1980年、これから日本との経済交流が進むことを念頭に置いて、中国が改革開放政策を具体的にどうやっているのかといった視点から、中国の代表団(現・中国商務部国際貿易経済合作研究院)を静岡県に招いて、「日中経済交流シンポジウム」を開催し、日中初のシンポイベントとして話題を呼びました。

改革開放40年『今』、『昔』 社会保障

ゆりかごから棺桶が激変、新たな社会不安
 社会主義計画経済の時代、中国では社会保障制度を構築するという考えはなく、現役労働者はその勤務する国営企業や集団所有制企業の内生する付属病院で病気の治療を受けることになって、国営企業と集団所有制企業は実質的にゆりかごから棺桶に入るまでその従業員の一生の面倒をみていました。農村部の医療は、医師は病院に所属するのではなく、中国政府の機関である人民公社に雇用されていたため、給料は政府から支払われ、その医師にかかるのは無料でした。

 それが、改革開放政策によって、企業は市場競争に晒されているため、その経営と直接関係のない社会保障の負担を企業本体から切り離され、社会保障基金を設け移管しました。併せて、養老(年金)、健康保険、失業、労災、出産などの社会保障基準が制定、運用されてきました。2013 年の三中全会で採決された決定では、皆保険の整備が明記されていますが、まだ未整備であり、現行の社会保障制度の問題点としては高齢化の進展に伴い社会保障に対するニーズが高まっているが、その保障能力は限られていること、都市と農村はそれぞれ別の社会保障制度になっており、不公平感が強いこと、都市部において企業セクターと政府行政機関はそれぞれ別の制度になっており、政府行政機関の職員と幹部は企業セクターの従業員よりはるかに優遇されていることがあり、このような二重社会保障制度のもとで不公平感が強まり、社会不安をもたらす一因になっています。

「看病難・看病貴」が社会問題化
 現在の中国における医療のなかで、2007 年ごろから社会問題となっているのが「看病難・看病貴」問題と呼ばれているものです。これは病院へ行くこと自体が難しく(看病難)、病院にたどり着けたとしても診療にかかる費用が高すぎて十分な医療が受けられない(看病貴)という問題です。中国の社会保障制度はまだすべての国民に十分に行き届いておらず、資金力のない人は病院にかかれない状況があります。医療分野においても市場原理が導入された結果、農村部ではこれまでほぼ無料で受けられた医療体制が崩壊、医師の偏在も起こり、「“看病難、看病貴”問題」は顕著となり、医療が行き届かなくなり、「農村合作医療保険制度」により、この農村部における医療崩壊立て直しが始まっています。


中日友好病院、保健医療サービスの近代化に寄与
 1979 年に開始された日本の対中国 ODAとして、医療の遅れなどの問題を抱えていた中国の保健医療サービスの近代化を進めるべく、1984年10月、北京の郊外に、最新の医療機器、医療設備を備えた中日友好病院が開院しました。また、病院建設と並行して1980年に、医療関係者を対象にした技術協力が始まり、日本全国の医療機関の協力を得て、医師、看護師などが現地に赴き、併せて中日友好病院の医療関係者が日本で研修を受け、カルテの書き方、検査手技、外来診療、手術ノウハウなど、医療技術が移転されました。

群雄割拠に時代に生きた 諸葛孔明

 諸葛孔明は中国後漢末期から三国時代、群雄割拠する時代に、蜀漢の丞相として、劉備に「三顧の礼」で迎えられ、赤壁の戦いで魏の曹操を破り、全国に名を轟かせ、天才軍師の活躍が「三国志演義」に記載されています。


諸葛八封村

 浙江省金華市蘭渓市の西へ18キロほどのところに位置する所に、鎮内に諸葛孔明の末裔一族が多く住む諸葛八卦村があります。

 現在約4,000人が住み、その住民の約80%、5人に4人は「諸葛」姓と言われています。

 この村が作られたのは、1340年頃で第27代宗主の諸葛大獅の時代です。諸葛大獅は、建築の専門知識があり、村の構造を綿密に設計した上で、諸葛一族の村づくりを始めたそうです。 

 

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【浙江省蘭渓市にある諸葛八封村】


 村の敷地内は、易(古代占法の一つ)の八卦(はっけ)の形に設計され、鐘池(陰陽魚太極図の形)を中心にして八本の小道が放射状に外側へ向かって延び、内八卦を形成しています。外側は8つの山に囲まれ、村を外界から隔離し、これが外八卦と言われています。村自体も小高い山の上にあるため、これまでの数々の戦乱から逃れ、守られてきたと言われています。何百年もの歳月を経ていますが、形を全く変えず、現在に至っています。

 

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【鐘池(陰陽魚太極図)】


 更に、村には現在でも200軒以上を超える明・清時代の建物がほぼ完璧な状態で残っていること等から、1996年11月に国務院の全国重点文物保護単位に指定されるとともに、国の「AAAA級観光地」にも指定されています。

孔子の末裔 孔祥楷

 儒教の創始者である孔子(BC551〜479)は、春秋戦国時代の末期に活躍した著名な思想家であり、教育家として広く知られています。
 孔子は仁・義・礼・智・信を提唱し、弟子を連れて全国を周遊し、晩年には六経という6種の経書からなる儒学の基本経典を著しました。後に弟子たちによって孔子の語録や思想が「論語」に編纂されました。

孔子、衢州に縁

 山東省の曲阜市には有名な孔子廟があります。しかし、実は孔子の家系は途中から北派(山東省曲阜市)と南派(浙江省衢州市)に分かれ、衢州市にも孔子廟があります。
1128年、金が大挙して南方に進駐し、宋の皇帝・趙構が南に逃げた際に、孔子48代目の直系子孫である孔端友が皇帝の世話役としてお供した功績が認められ、南宋が成立した際に衢州に家を与えられ、定住し始めました。その後、元、金、宋が入り乱れ、正統な孔子の直系子孫に与えられる「衍聖公」の爵位が同時に3名の子孫に与えられた時期もありましたが、元の初代皇帝フビライが中国を統一した際に、孔子の家系を精査し、52代の直系孔洙を「衍聖公」として北京に招こうとしましたが、孔洙は衢州ですでに5代続いている南派として孔子の墓を守る必要があるとの理由で、この爵位を北派の子孫に譲ったというエピソードがあります。

孔子75代、直系子孫/孔祥楷

 現在、衢州の南孔子廟を守る75代目の直系子孫/孔祥楷は、子供時代は自身の身分をほとんど明かさず、青年期は西安建築工程学院を卒業し、河北省唐山にある金鉱場に26年勤め、一般の技術員から金鉱場のトップになり、二千名の職員を率いました。60歳の時に瀋陽の黄金学院の副院長として抜擢され、その後、50年余離れていた衢州に戻り、市長の助役を務めながら、儒教文化や孔子の思想を広めることにより、知名度の低かった衢州市の発展に力を注いでいます。

 衢州市の南孔子廟でとりおこなわれる孔子の生誕記念祭は中央電視台に何度も紹介され、2011年には国家無形文化財に指定されました。この80歳近い穏やかな老人は「老爺子(おじいさん)」の愛称で市民から親しまれています。

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【儒学の創始者 孔子】          【孔子75代直系子孫 孔祥楷】

滋渓から日本へ 徐福

 秦の時代の中国に徐福という人がいました。徐福は、長い間中国でも伝説上の人物でしたが、1982年、江蘇省において徐福が住んでいたと伝わる徐阜村(徐福村)が存在することがわかり、実在した人物だとされています。

徐福伝説
 秦の始皇帝の時代に、方士(方術を行なった人のこと)をしていた徐福は、秦の始皇帝に不死の薬を献上すると持ちかけ、莫大な資金を得て、紀元前219年に1回目の出航をしたものの、何も得ることなく帰国し、「鯨に阻まれてたどり着けませんでした」と始皇帝に報告しました。そこで、始皇帝は大勢の技術者や若者を伴って再度船出することを許可し、紀元前210年、浙江省寧波市慈溪蓬山から、若い男女ら3,000人を伴って2回目の出航をしました。実際、徐福がどこにたどり着いたかは不明ですが、史記の淮南衡山列伝によると「平原広沢の王となって中国には戻らなかった」とされています。一説によると、辿り着いた「平原広沢」が日本であり、彼らにより農耕・製紙などの技術が伝えられたとも言われています。

 天下統一後の始皇帝は、神仙の道に心を奪われ、「不老不死」の薬探しに躍起になっていました。万里の長城の建設などで多くの民を苦しめる始皇帝の政治に不満をいだき、新たな地への脱出を考えていたのかもしれません。もしかすると、最初から、徐福は不老不死の薬を持ち帰る気持ちなどなかったのかもしれません。そのため、多くの若者や技術者など3,000人もの人々を集め、秦を出発したとされます。

日本各地に残る徐福伝説
 日本各地には徐福伝説が存在しています。実際はどこにたどり着き、どこに居住し、どこに行ったかはわかりません。もちろん、徐福という人物の存在を証明する物もありません。しかし、徐福の伝説地はとても多く、中国から船出した徐福が日本にたどり着き永住し、その子孫は「秦」(はた)と称したとする「徐福伝説」が日本各地に存在しています。

 

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  【徐福 像】     【浙江省慈溪蓬山から出発したとされる徐福】

就職戦線異状なし?

 急に気温が下がり、雨の日が続く寧波の初冬。いよいよ就職活動本番です。2019年6月に卒業予定の学生は、卒業後の進路(就職か進学か)を決め、その準備に入っています。今回は、寧波大学の就職事情をお伝えしましょう。

 寧波大学外国語学院日本語学科の4年生60名の内、就職希望者は毎年40名前後です。その就職希望の学生たちは、3年生後期には授業で「商務文書」などを学び、企業見学に出かけます。大学では、11月に外国語学院主催の企業招聘会(求人説明会)が、12月には全学対象の企業招聘会が開催されます。3月になると4年生は、卒業論文に取り組みながら、インターンシップで企業に体験入社する学生も出てきます。

 では、どんな職種が学生たちに人気があるのか、直接聞いてみました。すると「公務員です。安定と高給が重要ですから。」「教師も人気があります。」と、返ってきました。もちろん日本語を使う仕事に就きたいという学生も、少なくありません。

 ただ、日本語学科の先生方によれば、最近は少しずつ学生の希望や考え方が変化しているようです。経済発展が目覚ましく景気のよい中国、とりわけ浙江省では、省政府の方針で、外資導入より地元の中小企業の発展を優先してきました。現在は多くの優良な中小企業が、若い人材を必要としています。学生たちは、自分の能力を発揮できる会社、資格取得や海外経験などのチャンスがある会社を求め、そこで実績や経験を積んだのち、さらに給与など待遇のよい企業へ転職しようと考えるようになりました。そういえば、寧波で知り合った30代の中国人は、みな2、3回、転職を経験していましたし、次を考えている人もいました。安定志向から、経歴を高めて次のチャンスをつかむ、という新たな働き方を選ぶ人々が、中国の都市部には増えているのです。

 いずれにしても、せっかく4年間日本語や日本の文化を学んだのですから、ぜひ日本語を生かして仕事をしてほしいと思っています。

 

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【企業見学(寧波宝新)】          【活気にあふれる就職説明会】

今時の中国の学生 日本に興味津々、私の学生たち

先日、ある女子学生が私に尋ねました。
「先生、7月に日本へ行くんですけど、東京の大きな書店を紹介してください。」「7月に花火大会をやっているところ、ありますか。」

 ここは、寧波大学外国語学院日本語学科です。各学年60名の学生が、日本語や日本文化を学んでいます。大学生にとって、6月末の期末試験、7月初旬の日本語検定を終えると、待っているのは約2か月の夏季休暇。この休みを利用して、日本へ旅行する学生もいるのです。

 日本語を学ぶきっかけはアニメ、アイドル、お笑い、ドラマ、村上春樹、東野圭吾等、人それぞれです。学生たちは、2年半の間、じっくり日本語を習得し、毎年25名前後の学生が3年後期(3月)から日本の大学へ1年間留学します。北は岩手大学から西は広島大学まで、協定校に留学した学生たちは、授業で学ぶだけでなく、サークルや生活を通して日本を肌で感じ、日本を満喫します。

 一方、寧波でも忙しい授業の合間に、日本語のサークル活動が行われています。それは隔週月曜日の夕方から始まる3大学合同のサークル、「日本語角」(日本語コーナー)です。寧波大学、工程学院、科学技術学院で日本語を専攻する学生たちが、もちまわりで約2時間のアクティビティを企画、運営しています。毎回、日本語、日本文化に関わる発表、ゲーム、自由交流の3本立てです。中でも楽しみなのは自由交流でしょう。大学や学年の枠を超え、留学生や日本人教師も参加して、日本語でおしゃべりする時間です。そして最後は恒例の記念撮影。

 4年生になると、学生は卒業論文に取り組みます。「森鴎外の作品における女性観」や「川端康成『雪国』の翻訳の比較研究」、「日本の焼き物文化」、「伝統芸能としての相撲」等様々なテーマで研究し、日本語で執筆します。5月の卒論口頭試問に合格すると、6月に晴れて卒業です。 こうして日本通、親日家の若者が、毎年、ここ寧波市内だけで何百人も巣立っていきます。

 

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【日本語コーナーをしめくくる記念撮影】  【真剣に学ぶビジネスクラスの学生達】 

 

交流推進員プロフィール:横井香織
学歴:静岡大学人文学部卒業、兵庫教育大学大学院博士課程修了、博士(学術)
職歴:静岡市内の公立中学校、県立高等学校に30数年間勤務
   2016年に中国へ渡り、中国海洋大学を経て、現在、寧波大学外国語学院外籍教師

いずこも同じ 大学生活は楽しい!

 スマホ禁止、男女交際禁止、朝7時から夜10時まで勉強…。これは、中国のある高校のルールです。高校では、勉強漬けの厳しい生活を強いられます。それを乗り越え、みごと大学に入学した学生の生活のようすを、お伝えしましょう。

 大学に入学すると、学生はほぼ全員、大学の寮に入ります。寮費は1200元/年(1元=約17円)で、学費とともに支払います。寧波大学の場合、ほぼ半数の学生は浙江省出身で、他は全国からやってきます。寮は4人部屋で、同じ学部の学生が室友(ルームメイト)です。部屋にはベッドや机が備えられ、トイレ、シャワーもあります。ただしガスがないため、料理はできません。食事は、大学の食堂などで、すべて外食です。(こっそり自分たちで作ることもあるようですが)

 学生たちの生活を支えているのは、「農貿」と呼ばれる学生街と、スマートフォンです。「農貿」は,大学に隣接する学生街です。スーパーやレストラン、美容院、ブティック、屋台など100軒前後の店舗があり、いつも学生でにぎわっています。レストランは、地元の料理だけでなく、四川料理や火鍋、麺類、日本食などそろっていて、値段が安く量も多い。お昼時や夕方は、どの店も友人と楽しく会食する学生で満員です。

 あるとき、「A4のコピー用紙は、どこで買えるの?」と学生に尋ねました。すると、「淘宝です。」「いや、京東の方がいいかな。」と返ってきました。そうです。日用品から衣服、靴、化粧品、書籍、生鮮食品にいたるまで、ありとあらゆるものが、「淘宝」や「京東」などのネットショップで買えるのです。支払いも、スマホで済ませます。早ければ翌日、遅くとも数日中に、大学内外のスポットで商品を受け取ります。そうそう、11月11日は、年に一度のセール日です。今年は何を買うか、そろそろ決めておかないと…。

 学生の平均的な生活費は、1500〜2000元/月です。アルバイトをしている学生は少なく、親からの仕送りが、学生生活を支えています。

 

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【買い物も支払いも全てスマホで】       【活気にあふれる学生街】

中国の自動車業界にも新エネ車で「HUAWEI」が誕生か?

 自動車製造の歴史を見ると、1908年のフォードの「ガソリン車」から100年以上経った今も、自動車の動力源・燃料は化石燃料「ガソリン」であるが、この100年以上続いたガソリン車の歴史が中国から電気を動力として走る「電気自動車(EV)」によって変わるかもしれない。

 中国では、新エネ車産業の発展に注力するため、2012 年から 2020 年までにわたる産業育成計画「省エネと新エネ車産業育成計画(2012〜2020 年)」を 2012 年に策定している。それによると、2015 年までに電気のみで駆動するバッテリー駆動電気自動車(BEV)と混合動力電気自動車(PHEV)を累計で 50 万台生産・販売し、更に 2020 年までに BEV と PHEV の年間生産能力を 200 万台とし、累計での生産・販売台数 500 万台を達成するという、新エネ車産業を育成しようという意欲的なものである。

 更に 2017 年 に発表した「自動車産業中期発展計画」では、2020 年の国内自動車市場規模を 3,000 万台と予測し、その内、新エネ車 を 200 万台と想定、更に 2025 年には市場規模 3,500 万台の予測に対して新エネ車 を 700 万台にまで拡大するという計画を発表している。2020年までに充電スタンド12000カ所、充電設備480万基を設置する目標をあげている。

 「新能源汽車」(新エネ車)とは、動力源として従来とは異なる自動車燃料の使用(または従来の自動車燃料の使用、新しい自動車パワーユニットの使用)、総合的な自動車の電力制御及び駆動における先進技術及び先進技術原理の形成を指す。新技術と新構造の新エネ車には、ハイブリッド電気自動車(HEV)、純電気自動車(太陽電池を含むBEV)、燃料電池電気自動車(FCEV)、その他の新エネ源(スーパーコンデンサー、フライホイール、その他高効率エネルギー貯蔵自動車等)の大きく4種類に分けられ、また非従来型自動車燃料は天然ガス(NG)、液化石油ガス(LPG)、エタノールガソリン(EG)、メタノール、ジメチルエーテル等、ガソリン及びディーゼル以外の燃料電池車を指す。

 中国の2018年の自動車生産台数は前年比4.2%減の2,780万台(世界生産総数9,500万台)に対して、その内、新エネ車の2018年年の生産台数は前年比59.9%増の127万台(世界生産総数300万台)、更に2019年は200万台になると予測されている。

  世界自動車市場での新エネ車販売台数のTOP20には中国メーカー・北京汽車等9社がランクインしている。日本メーカーは3社がラインクインしている。世界自動車市場における新エネ車シェアは現在数%にすぎないが、2030年言には30%に拡大するとの試算もある。

  もっとも、中国の新エネ車急成長の要因は圧倒的な技術力の差によるものではなく、環境対策(光化学スモック等大気汚染対策)の一環として、中央と地方政府による新エネ車を優先とした補助金政策、新エネ車が新規乗用車購入時のナンバー発給制限、都市中心部への乗り入れ規制を受けないといった振興策が誘因しているとみられるが、驚異的なその伸びは脅威的である。

  多くの日本メーカーが撤退する中、中国メーカー「HUAWEI」が勃興し、中国発信のガラケーからスマホへのパラダイムシフトにみるように、これから自動車メーカーの間でも起ころうとしているのかもしれない。

 

(新能源汽車網等の掲載記事を整理)

指標値で見る中国の都市ベストテン

人口が多い都市 第1位[重慶]3000万人、第2位[上海]2301万人、第3位[北京]2161万人、第4位[成都]1404万人、第5位[天津]1293万人、第6位[広州]1270万人、第7位[保定]1119万人、第8位[ハルビン]1063万人、第9位[蘇州]1046万人、第10位[深セン]1035万人

経済的活力がある都市 第1位[上海]6642億元、第2位[北京]5430億元、第3位[深セン]3331億元、第4位[天津]2310億元、第5位[重慶]2252億元、第6位[蘇州]1908億元、第7位[杭州]1685億元、第8位[広州]1533億元、第9位[武漢]1402億元、第10位[成都]1275億元

人気の観光地がある都市 第1位[麗江]、第2位[三亜]、第3位[黄山]、第4位[九寨溝]、第5位[桂林]、第6位[鼓浪嶼]、第7位[長城]、第8位[張家界]、第9位[ポタラ宮]、第10位[西湖]

高いビルがある都市 第1位[上海中心(上海)]632M、第2位[平安金融中心(深セン)]599M、第3位[天津117大廈(天津)] 596.5M、第4位[広州周大福金融中心(広州)]530M、第5位[天津周大福濱海中心(天津)]530M、第6位[台北101大廈(台湾台北)]509M、第7位 [上海環球金融中心(上海)]492M、第8位[香港環球貿易広場(香港)]484M、第9位[長沙IFS大廈(長沙)]452M、第10位[南京紫峰大廈(南京)]450M

養老環境がいい都市 第1位[広東・広州]、第2位[福建・廈門]、第3位[広東・深セン]、第4位[上海]、第5位[浙江・杭州]、第6位[福建・福州]、第7位[江蘇・南京]、第8位[江西・南昌]、第9位[雲南・昆明]、第10位[広東・珠海]

不動産価格が高い都市(1平方メートル当り単価) 第1位[北京]55589元、第2位[深セン]51902元、第3位[上海]50986元、第4位[廈門]37070元、第5位[杭州]30547元、第6位[広州]29962元、第7位[福州]28777元、第8位[南京]24109元、第9位[天津]24109元、第10位[青島]22078元

環境がいい都市 第1位[大連]、第2位[煙台]、第4位[連雲港]、第5位[蘇州]、第6位[北海]、第7位[三亜]、第8位[海口]、第9位[珠海]、第10位[湛江]

老人空巣率(一人または夫婦のみで生活する高齢者)が高い都市 第1位[ハルビン]71%、 第2位[西安]57%、第3位[太原]54%、第4位[成都]50%、第5位[合肥]49%、第6位[長沙]48%、第7位[廈門]47%、第8位[沈陽]45%、第9位[上海]44%、第10位[天津]32%

貧しい都市 第1位[貴陽]、第2位[銀川]、第3位[ラサ]、第4位[西寧]、第5位[蘭州]、第6位[太原]、第7位[合肥]、第8位[長沙]、第9位[西安]、第10位[長春]

未来発展潜在力がある都市 第1位[天津]、第2位[重慶]、第3位[済南]、第4位[武漢]、第5位[沈陽]、第6位[綿陽]、第7位[威海]、第8位[中山]、第9位[宜昌]、第10位[西安]

古い歴史がある都市 第1位[洛陽]4000年、第2位[武漢]3500年、第3位[ケイ台]3500年、第4位[曲阜]3400年、第5位[安陽]3300年、第6位[西安]3100年、第7位[朝歌]3000年、第8位[寶鶏]2700年、第9位[徐州]2600年、第10位[太原]2500年

「驚奇視界」の記事を整理

中国『抹茶』、まちおこしブーム

 世界的に『Matcha』の呼称で認知、普及している抹茶の年間需要量は12000トンあると言われていますが、供給量は5000トンに過ぎず、まだまだ大きく伸びる市場として注目されています。また、日本においては抹茶のブランドといえば、京都宇治ですが、静岡(藤枝)、愛知(西尾)も知られ、抹茶入り茶飲料、抹茶ラテ、抹茶入りスムージー、抹茶風味のケーキなど多様化し、その消費量は急速に伸びています。

 中国の抹茶も同様であり、ここにきて粉状緑茶と抹茶の不鮮明な状況から、中国『抹茶』は日本以上に大きな変貌を見せています。

 中国抹茶は、日本に留学していた中国人が上海で創業した「上海宇治抹茶有限公司」が知られています。同社は日本から抹茶生産設備、技術を導入し、石臼引きの抹茶を生産しています。また、紹興御村茶有限公司は日中合弁企業で経営され、2010年日本側が撤退しましたが、現在では中国最大の抹茶生産企業になり、2017年には生産量600トン、年間生産額1億元を超えています。中国において、スターバックス、ネッスル等食品企業に対して抹茶供給ベンダーとなっています。

 今年10月には、貴州省銅仁市江口県で「2018第1回貴州梵浄山国際抹茶文化祭」が開催されました。開幕式には中国茶文化研究会、中国茶流通協会茶集団標準作業委員会等の関係団体、専門家、学者、地元の茶業界の関係者400人が出席しました。両協会はそれぞれ「中国抹茶之都(中国抹茶の都)」、「中国高品質抹茶基地(中国高品質抹茶生産拠点)」の称号を授与しました。

 貴州省に北東部に位置する銅仁市は、「貴州北東部の入り口」と呼ばれ、面積は1万8000平方キロ、人口は400万、トゥチャ族、ミャオ族、トン族などの少数民族が人口の68%を占めています。貴州省の茶葉栽培面積は中国において連続5年第1位となっています。

 現在、銅仁市の生態茶葉栽培面積は189万ム―(1ムー・6.667a≒200坪)あり、省内茶葉面積の4分の1を占め、省内第2位となっています。当地では、中国だけではなく、「世界の抹茶の都」を目指し、現在、先進的な抹茶生産ラインを導入稼働予定であり、2019年には原料の碾茶生産ライン100本投入する予定です。また、2022年には高品質抹茶原料拠点10万ム―以上に、碾茶生産ライン200本以上、抹茶生産ライン10本以上、年間生産量4000トンにする計画があります。

 日本の抹茶が明確な標準が打ち出せない中、中国の国家標準『抹茶』(GB/T 34778-2017)は2017年11月1日に公布され、2018年5月1日より施行されました。この標準の起草機関には浙江省茶葉集団股有限公司、中華全国供銷合作総社杭州茶葉研究院、国家茶葉質量監督検験中心、宇治抹茶(上海)有限公司、安徽農業大学、江蘇品茶業有限公司、紹興御茶村茶業有限公司となっており、政府系の研究機関や大学のほか、抹茶の生産企業などが名を連ねています。この標準では、抹茶の用語と定義、必要条件、試験方法、検査ルール、表示、ラベル、包装、輸送と保存について規定されています。現段階、この標準は、製法の部分や栽培方法などについての詳細な記述はなく、あくまで最低限度の基準です。

 中国『抹茶』がこうした標準と産地化によって、世界の市場において瞬く間に席捲させるような勢いがあり、世界の市場に売っていこうとしている日本『抹茶』にとって脅威な動向であり、その動向は益々目が離せなくなります。

人民網、雪花新聞等の記事を整理

勃興と爆走のトレンド「健康産業」

中国の『健康中国』建設事業計画によると、中国はさらに一歩、健康サービスを最適化させ、健康環境を建設し、健康産業を発展させるとしている。中国の健康産業の発展は、まだ端緒についたばかりであるが、産業規模は2017年の6兆元から2020年には8兆元へ拡大、2030年までに、中国の健康産業規模は大きく拡大し、健康サービス業の総規模は16兆元に達する見込みである。

この巨大市場に対して、IT業界(アリババ、テンセント等)、不動産やスマホメーカーまでと、大激戦状態となっている。中国で今、もっとも成長している分野のひとつが人工知能(AI)とヘルスケア・医療・介護を組み合わせた産業である。中国語では「智能健康産業」「医療人工知能産業」と呼んでいるが、100以上の企業が既に誕生しており、投資される額も莫大である。

・アリババ(阿里巴巴)
1 国家薬品電子監督管理データに基付く、医薬品のトレーサビリティー
2 医薬品のネット通販。O2Oサービス(宅配)
3 ネットによる診療サービス
4 ネットによる健康診断サービス

・テンセント(騰訊)
テンセントは「AI医学補助プラットフォーム」を立ち上げ、“医療情報化工場”および“補助診療エンジン”と位置付け、診療前、診療中、診療後までカバーしていくとしている。

・バイドゥ(百度)
若手医師の手引きとなり、時間の節約にめざした検索サイト“百度医療大脳”は、その目的のためにビッグデータとAIを駆使したプラットフォームを構築している。

中国の「AI×ヘルスケア・医療」産業は主に9つの領域に分類される。
@医療ビッグデータ、A医療画像診断、Bヘルスケアバイオテクノロジー、Cバーチャルアシスタント、D日常ヘルスケア管理、E音声アシスタント、FDNAがん検査、G医療検索、HAIチップ
   
疾病治療を主とした伝統的な医療衛生産業から、健康管理・疾病予防・医療・介護等の諸領域をIT技術の活用によって統合する「大健康」産業へのモデルチェンジの動きである。

「大健康」産業は、病院での医療を中核としつつも、健康食品・サプリメントや健康診断・生活指導から、病後のリハビリ、老人ホームやサービス付き住宅等の養老・介護領域、果てはスポーツ・レジャーまで、まさに生老病死に関わる全ての領域を対象にした幅広い概念と位置付けている。

「IT+医療」による顧客の囲い込みを目指し、健康管理プラットフォームの確立に注力している。政府が国を挙げて後押しする中、日本を凌駕する規模とスピードで成長している領域で、新しい健康管理インフラの形が確立されるのも、そう遠くはないように思われる。

輸入ゴミ禁止令の余波

 「輸入ゴミ禁止令」は、中国は2018年1月1日から環境負荷の大きな4品種24種類の廃棄物(生活由来の廃プラ8品種、未選別古紙1品種、廃紡績原料11品種、バナジウムスラグ4品種)の外国からの輸入を禁止する措置をとった。これら原料となりうる固体廃棄物には、汚染物質や危険物質が大量に混入しており、それらが中国の環境に深刻な汚染をもたらしているとしている。

一方、近年、中国が輸入していた外国のゴミは、最もきれいなリサイクル資源であり、中国の都市で発生するゴミと比較し、輸入ゴミは選別がされ、多くの種類に区分されているので、中国のプラや古紙の回収業者であれば、間違いなく少し高いお金を払ってでも輸入ゴミを選択するであろうという見方もある。

廃プラに焦点を当ててみると、現状、中国の樹脂生産量は年間7700万トンで、中国国内の廃プラ消費量は1878万トンである。一方、2016年における香港、日本、アメリカ等の国からの廃プラの輸入量は、735万トンで、国産と輸入の消費比率は7:3と国産が大部分を占め、全体の樹脂生産量に対する輸入廃プラの消費割合はわずか9.5%に過ぎない。

廃プラの輸入禁止に伴い、中国向け廃プラの実質的な最大輸出国である日本ならびに日本の輸出業者がこうむる痛手は極めて大きい。(香港からの輸出の中には日本から香港経由で中国に輸出される部分も多く含まれる。)また、古紙も紙不足から現地価格が高騰している。

英国は環境目標を達成するため、ゴミの回収処理をコストの低い中国に依存しており、2012年以来、中国と香港へ累計270万トンの廃プラを輸出しているが、これが禁止されると、英国内の貯蔵能力はすぐに限界が来る。ベトナムやインドも、代替仕向け先としてはすでに飽和状態である。

中国企業にとっても、廃材を回収して再利用する方法が使えなくなれば、原材料を調達しなければならない。アルミを例にとってみれば、廃材を利用すれば、原材料の使用に比べて90%のエネルギーを節約できる。しかし、アルミ廃材が手に入らなくなれば、チベットの地に穴を掘ってアルミを採掘し、大量の二酸化炭素も排出しなければならなくなる。プラや紙の製造がもたらす二酸化炭素の排出量は、アルミほどではないが、それでもかなり多い。

2000年代半ばから、中国政府は、その多くが国有企業である鋼鉄や鉱業等、原材料業界への支援に力を入れ、一方では多くが民営企業である回収業界にはあまり目をむけてこなかった。これは、持続可能な経済高成長をめざし、エネルギーの効率化を図るという国策とは逆行している。
また、現在、中国政府は国民の愛国精神と民族主義を駆り立てようとしており、外国ゴミ輸入禁止令もその表れの一つであるとも言われている。

ここにきて中国政府は、従来輸入に頼っていた不足分の廃材を、国内ゴミからの回収率の引き上げと再資源化効率の向上で解決しようとしている。中央政府は各地方政府に対し、住民のゴミ分別徹底を促しているが、ゴミのポイ捨てが常習的に行われている現状では、一朝一夕に分別の徹底を図ることは困難であり。ゴミの分別と回収がいかに自分達の利益につながるかを国民に理解させ、納得させることが必要である。     

「中外対話、日経ビジネス等を整理」