現在の若者達が輝かしい未来を謳歌している、というわけでもなさそうです。ちょうど1年ほど前からSNSで『四不青年』という言葉が目立ち始めました。「恋愛、結婚、家、子女」の4項目を否定するという意味で、恋愛や結婚に消極的で、子供を作らず、家も買わない、という一部の若年層の特徴を現した言葉です。

最近、就職難のためお金がなく、未来の社会に希望が持てない現象を表していますが、更に否定の数が増え、『十不青年』という言葉が顔を出すようになりました。

『十不青年』の否定する10項目は「献血、寄付、結婚、子女、家、宝くじ、株式、基金、高齢者扶養、感動」とされ、基本的にお金がないので、寄付ができないし、宝くじも買えず、株式や基金への投資や出資もできない、更に高齢者介護や献血するような余裕もなく、更に結婚もできないので、子女もできず、家も必要なく、淡々と生きているだけなので感動することもないとうことのようです。

近年、中国では、日進月歩の社会発展の道を突き進んでいます。日々、エスカレーターを駆け上っていくような勢いで、求められる努力とプレッシャーはかなり大きいものでしょう。そんな中、「巻・・潤」の漢字が流行しています。若者達は入学試験や就職活動で常に競争に巻き込まれ(巻)、疲れて閉じこもり何もしないで寝そべる()、または自分の置かれた環境から逃げ(潤)ようとします。当然タフで日々努力し、競争をものともしない若者がいる一方で、そこから溢れ出てしまう若者も多く存在します。

また、頑張って勉強して高学歴で卒業して、高収入の職に就いたとしても、996(朝9時から夜9時まで、週6日労働)で働くことが必要で、身体を壊し仕事を続けられなくなります。或いはコロナの流行や学習塾の制限等の新政策の影響で職を失う若者も出てきています。

そんな環境下、若者達の新たな就職先が「親元」です。近年、親の世話をすることで、親から給与をもらう子供、「専業子女(全職児女)」が出現しています。実家の親と同居して食事を用意したり買い物に行ったり、一緒に散歩したり旅行に連れていく等々をすることで親の収入の一部を給与として支払ってもらう、というものです。前提には、親が年金をはじめとするある程度の収入があり、子女を「雇える」状況にあることになります。

「専業子女(全職児女)」については、「新たな親のすねかじり」、「仕事のストレスから逃げているだけ」という批判がある一方で、「一種の仕事であり新たな生活スタイルだ」という肯定的な意見や、「次の仕事や資格試験に備えるための過渡期」と捉える意見もあります。しかし、その背景にあるのは、コロナの影響や国際環境による中国経済の不透明さや、現在都市部の若者の5分の1が失業しているという若年層の就職難、特に高学歴者が増加し、彼らの労働市場での相対価値が下がり、供給が需要を超えているという事態であり、決して明るいものではないです。

老子の思想に「足るを知る者は富む」とは言いますが、若い人が諦観を達観として生きざるを得ないというのは悲しい事ではないでしょうか。中国政府も若者の雇用安定のための政策を打ち出していますが、効果のある処方箋が待たれます。

NEWSポストセブン「結婚や子供、家等を諦める若者達」等を参照・整理

中国と言えば「人口世界一」というイメージですが、2023年の世界一人口所多い国はインドの14億2500万人で1位となり、中国は2位の14億900万人、前年から208万人減少し、また出生数は902万人となり、中国の少子・高齢化傾向の加速化が顕著です。

中国の人口減少、少子・高齢化現象は加速傾向にあり、中国国家衛生健康委員会直属のシンクタンク・中国人口発展研究センターの試算によると、中国の総人口は2026~2030年の期間は年平均230万人ずつ、2031~2040年には370万人ずつ、2041~2050年には620万人ずつ、2050年以降になると年平均1000万人の減少を予測しています。2023年の一人の女性が一生のうちに産む子供の推計人数を示す「合計特殊出生率」は2022年時点で1.09と、統計以来最低数を記録しています。また、65歳以上の高齢者人口は2億1676万人で総人口位の15.4%を占め、前年の14.9%から増加しています。

1970年代、中国では急激な人口増加を抑制するために、「晩、稀、少」(遅く、間隔を空け、少なく産む)という「計画出産政策」をとりはじめました。1978年には「できるだけ1夫婦あたりの子どもは1人とし、多くても2人とする」との方針が国策として示され、1979年には「計画生産」の方針の「多くても2人とする」という文言も除かれ、上海市等を皮切りに「1人っ子政策」が開始されました。

その後、中国の生産年齢人口(15~59歳)は2011年をピークに減少に転じ、徐々に少子化の進展に伴う労働力不足や国内の投資・消費の縮小等が問題視されるようになり、そのため2016年には「1人っ子政策」は撤廃され、全ての夫婦に「第2子の出産」が認められるようになりました。2021年には夫婦1組に3人まで子供をもうけることを認めるようになりました。

2024年の出生率に関しては、3年近く続いたコロナ禍の影響による出生数減少の揺り戻しや、今年の干支は縁起が良いとされる辰年であることもあり、子どもを産みたがる夫婦が増加することが見込まれています。しかし、それは一時的であり、都市部での生活費や教育費の高騰や、キャリア重視の女性が増えていることで、子どもを産むことを許す政策は少子化対策にはなっていないのが実情とされています。

このように国の中央政策の転換を受け、各地で子育て環境を整える対策を打ち出し、産休や育休・出産介護休暇の新設や拡充が進んでいます。産休日数は、多くの地域で延長され、 北京市、天津市、上海市等16市では、国が定める「女性労働者の産休98日」に加えて、さらに60日上乗せされ、計158日となっています。浙江省、河北省、内モンゴル自治区は第3子以上の出産で産休を90日に延長し、計188日と定めています。

また、「第3子政策」を促進するため、地域による財政支援の拡充が重要視され、各地の条例改正によって、出産予定の夫婦に対して出産手当金や育児補助金制度を導入・強化するとともに、育児補助金制度について、第2子、第3子以上の子供を持つ家庭を優遇する地域が相次いでいます。居住環境についても地域によっては子育て家庭の住宅ニーズに対応した優遇措置を実施しています。

ちなみに日本の2023年の出生数は▲5.8%減、出生率は日本の1.26に低下し、総人口に占める65歳以上の割合は29.1%で、高齢者人口の割合は世界一です。中国、特に地方の政策が少子化に歯止めをかけることができるのか、日本のように高齢化に進んでいくのか、人口規模が大きいだけに世界に与える影響も大きそうです。

東洋経済ONLINE「中国の人口『少子高齢化の加速』で2年連続減少」等を参照・整理

近年、中国では化粧品の売上が伸びています。

特に中国国内ブランドの売上が伸びていて、2022年に市場規模は4,858.1億元(約9.7兆円)に達し、2023年には5,100億元(約10.2兆円)を超えると予測されています。購入者層を見ると、女性客は79.7%、25歳から35歳の層が61.2%と、若い女性世代が比重を占めています。

売上トップ企業をみると、2022年の1位は上海家化聯合有限公司、2位は珀莱雅化粧品有限公司、3位は華熙生物科技有限公司。1位の上海家化は長年売上トップを誇っている企業ですが、売上高を見ると、2020年は70.32億元、2021年は76.46億元、2022年は71.06億元と前年を下回っています。2位の珀莱雅は、前年の5位より順位を上げ、売上高も2021年の47.33億元から2022年の63.85億元へと大幅増収しました。3位の華熙生物は前年の4位より順位を一つ上げ、売上も2021年49.48億元から2022年63.59億元と増加しています。

2位の珀莱雅「PROYA」は浙江省に本社をおく上場企業であり、2003年杭州市に設立以来、若い年代を対象にバイオテクノロジーを駆使して機能性スキンケア商品を開発してきました。  また、多額の投資をしてオンラインチャンネルを整備し、販売比率を2017年の36%から2022年の90.98%にまで拡大しています。3位の華熙生物は山東省に本社のある上場企業で、スキンケア製品を扱っています。

珀莱雅と同じく浙江省にある化粧品会社、浙江宜格企業管理有限公司も近年急速に成長しています。2017年に杭州市で誕生した化粧品ブランド「花西子(フローラシス)」を展開し、中国国内だけでなく日本にも進出し、注目を浴びています。中国に古くからある花を用いた美容法により、フラワーエッセンスやハーブエキスなど植物の力を、最新の科学技術と融合させることにより製品開発をしています。また、パッケージ等見た目にもこだわり、扇形をしたケースや、中国故事をテーマとした彫刻リップなど中国伝統文化を取り入れた個性的なデザインにしています。

化粧品で売上を伸ばしている中国企業の特徴は、スキンケアを重点に技術開発していることです。中国の若い世代の女性は保湿や白い肌といった機能性を重視し、「効果がない=スキンケアではない」というトレンドの中、美肌の機能を強調した化粧品が売れています。同時に化学物質や合成成分を含まない、オーガニックや100%植物由来のようなナチュラル&クリーンラベル化粧品への需要が高まっています。それと共に、パッケージデザインにもこだわりがあり、中国伝統をテーマとしたデザインを好むとした割合がほぼ40%で、海外ブランドとは一線を画した中国国内仕様が好まれるようになってきています。

中国国外の化粧品メーカーにとっても、中国の市場規模と成長性は無視できないものです。欧米市場ではフレグランスやメイクの需要が高い一方で、特にスキンケア需要が高い中国市場では、同じアジア圏の肌質である日本メーカーの得意分野が受け入れられやすいと言われます。 

化粧品に対する中国消費者ニーズが拡大する中、競争は激化し、日本メーカー中国国内メーカー共に技術を磨いて次世代型商品を出していく必要がありそうです。

知粧株式会社「中国化粧品会社の状況と市場動向の変化」等を参照・整理

 

2024年が始まります。

干支は辰(龍)年になり、十二支の中では唯一の空想上の生き物です。また、2024年は60年に一度の甲辰(きのえたつ)の年で、陰陽五行説によると「甲」は草木の生長を表し、植物が成長するように勢いを増して増えていくという意味があり、吉祥を表す辰(龍)とともに縁起がよく、昨年まで努力してきたことが実を結ぶ年、とも言われます。

古代中国では、十干は日を順に10日ごとのまとまりで数えるための呼び名でした。10日ごとに、「一旬(いちじゅん)」と呼び、3つの旬(上旬、中旬、下旬)で1ヶ月になるとして使われていました。その後、万物は「陰」と「陽」の2つに分けられ、「木」「火」「土」「金」「水」の5つの要素でできているという陰陽五行説を十干に当てはめるようになります。

日本では、この「陰」と「陽」を「兄(え)」と「弟(と)」に見たて、「兄弟(えと)」と呼ぶようになったといわれています。十二支は、60通りの組み合わせにより、古くから暦のように使われてきました。代表的なものが「還暦」で、60年で干支が一巡し、誕生年の干支に還ることが還暦の由来です。

中国では、春節(2024年は2月10日)を節目に十二支が巡っていきます。干支には、中国人の伝統文化や民俗に対する特別な感情が込められており、「干支経済」を生み出しています。春節近くなると十二支をモチーフにした年越し用品、装飾品、日用品が大量に販売されます。特に近年「中国ブランドカルチャー」の風潮があり、中国市場の消費拡大を反映しています。中国のこの春節民俗は隋・唐の時代に日本に伝えられました。

十二支は、元々12年で一周する木星の軌道の位置を表す単位で年を数えるものです。12種類の動物は中国で時を表す動物たちに由来しています。中国では、漢の時代から一日の24時間を12等分し、その12分の1の2時間を「時辰(龍)」と呼んでいました。

辰(龍)は、中国では9つの動物でできていて、角は鹿、体は蛇、腹は蛤、背中の鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛に似ていて、長髭を生やしていると言われます。中国の伝統文化では権勢、高貴、栄誉の象徴であり、幸運と成功のシンボルとされています。辰(龍)は中空を飛行して雨や雲を起こし、蛇の形をした稲妻を放つとされます。

また、古代においては、方位を青辰(龍)(東)、白虎(西)、朱雀(南)、玄武(北)と呼んでいました。その後、辰(龍)は次第に神格化され、皇帝のみが使えるものとなりました。皇帝は「真辰(龍)天子」と称され、辰(龍)の図柄がある長衣「辰(龍袍」をはおり、辰(龍)の装飾がされた「辰(龍)冠」をかぶり、「辰(龍)椅」に座りました。

60年前の1964年、日本は東京オリンピックが開催され、東京モノレールや東海道新幹線が開通しました。次の1976年はロッキード事件がありました。中国は1964年核実験を行い、次の1976年は唐山地震が起き、周恩来、毛沢東が相次いで亡くなり、苦難の年でした。

先行き不透明な昨今、2024年はどのような年になるのか、辰(龍)にあやかり、平和な良い年であってほしいと思います。

CRI online「中国の「十二支」の由来」等を参照・整理

今年も秋から冬に季節が変わる中、新米を楽しむ方も多いと思います。日本ではお米生産は自国で行われていますが、海外からの輸入が増えています。中国でも新米が市場に出回るようになり、14億の巨大人口を支えるべく、お米の生産効率を高める政策を積極的に打ち出し、様々な技術を導入するため、モデル田で試験的な生産に取り組んでいます。

例えば、湖南省邵陽市には「再生水稲」のモデル田があります。「再生水稲」とは一度収穫した水稲の茎を利用して再び収穫する方法で、1回の田植えで2回の収穫を目指すものです。この水田では1ムー(6.67アール)当たりの平均収穫高が562キロに達しました。また、四川省涼山イ族自治州徳昌県で行われたスーパーハイブリッドライスのモデル田では1ムー当たりの平均生産量が1251キロと測定され、ハイブリッドライスの四半期ごとの1ムー当たりの生産量の世界新記録が更新されました。

ハイブリッドライスの誕生は、アメリカ人ヘンリー・ビーチェルが1963年にインドネシアで初めて成功したところに遡ります。ヘンリー・ビーチェルは1996年に世界食糧賞を獲得しました。日本では1969年に琉球大学の新城長有がハイブリッドライスの種子生産に必要な細胞質雄性不稔を実用化、その後、1981年からは農水省のプロジェクト研究でハイブリッドライスの研究開発を進める等ありましたが、どちらかというと増収より減反に重きを置きました。

1972年、日本と中国の国交回復の機運が高まる中、当時の日中国交回復促進議員連盟と農林省は、深刻な食糧不足に悩まされていた中国に、新城長有のハイブリッドお米を中国の視察団に贈呈し、中国は食糧増産として、ハイブリッドライスに着目します。当時あまり注目されなかった新城長有の技術を引き継いだのが、中国のハイブリッドライスの父と呼ばれる袁隆平でした。袁隆平は1971年から湖南省農業科学院のハイブリッドライス研究に従事、その後1984年には全国的な専門研究機関として、湖南ハイブリッドライス研究センター(のちに国家ハイブリッドライス工程技術研究センター)が設立、袁隆平はセンター主任に就きます。1997年にはスーパーハイブリッドライスの技術計画を示し、2000年から2011年までの三期に分け、それぞれ1ムー当たり生産量700キロ、800キロ、900キロの目標を次々とクリアし、2014年第四期には1000キロの目標を達成しました。

袁隆平のハイブリッドライスは人口が増え続けた中国の食糧を下支えしただけではなく、グローバルな食糧問題解決にも役立ってきました。1990年代の初め、国連食糧農業機関(FAO)は、ハイブリッドライスの普及を発展途上国の食糧不足問題を解決する戦略的措置の一つに組み入れ、袁隆平を首席顧問に任じました。袁隆平を長とする中国のハイブリッドライスの専門家たちは何回も、ベトナム、ミャンマー、インド、フィリピン、バングラデシュ、スリランカ、パキスタン、ブラジル、ブルネイなどの国々へ赴き、ハイブリッドライスの指導と援助を行いました。

より効率的に、より良いものを生産するために技術を駆使してテストを重ね、その成果を広げ収益につなげていく、どうしても電子機器や自動車生産のような工業分野に求めがちです。しかし、食糧問題が楽観視できない今、ハイブリット農業への積極的な取り組みが求められています。袁隆平の生涯にわたるハイブリッドライスへの態度から学ぶべきことも多そうです。

農業協同組合新聞「恐るべし中国のコメ戦略」等を参照・整理

 

 コンビニは中国で「便利店」と呼ばれて、コンビニはいつの間にか日常生活に欠かせないものになっています。都市部では道を歩くとコンビニチェーン店が多数あり、無人店舗も見られます。お弁当等のちょっとした食料品やチケットの購入、トイレの利用等、都市生活はもちろん、車中心の生活の地域でも、どこにでもある存在になっています。

 

中国のチェーンストア業界団体「中国連鎖経営協会(CCFA)」が、コンビニ各社の店舗数ランキング「2022年中国コンビニTOP100」を発表しています。それによると、広東省発の「美宜佳(メイイージャー)」が3万8店舗で、前年の2位から1位となりました。運営会社の美宜佳有限公司は1997年の設立後、広東省の東莞市を中心に拡大発展を遂げ、ここ2年間で年間5,000店舗近くを新規出店しています。ほぼ広東エリアでしか見かけなかったのですが、華南、華中、華東等複数の地域、260都市、中国全土に出店し、地方ブランドに過ぎなかったのが全国ブランドになりつつあります。

 

逆に前年1位から2位になった国有石油大手、中国石油化工集団(シノペック)傘下の「易捷(イージエeasy joy)」は2万8006店舗、3位は国有石油大手の中国石油天然気集団(CNPC)傘下の「崑崙好客(クンルンハオカー uSmile)」で2万600店舗です。ともにガソリンスタンドを経営する会社で、中国全土で自社経営のガソリンスタンドに併設、運営・管理モデルを統一して展開しています。中国の国内高速道路網は発展中、自動車人口も更に増加するとみられ、ガソリンスタンドコンビニの利用人口も増えると考えられます。

 

中国にいるたいていの日本人にとって日本なじみのコンビニチェーンはありがたいお店ですが、ランクはどうかというと、5位「羅森(ローソン)」5,641店舗となっています。ローソンは1996年上海百聯グループと合資会社「上海ローソン有限公司」を設立、1997年に1号店を出店しました。出店スピードは比較的ゆっくりでしたが、2012年に「羅森中国投資有限公司」を設立し、上海ローソンを傘下におさめ、積極的に新規出店を図りました。その成果か日系企業としては店舗数1位となっています。

 

日本で店舗数の多いセブン-イレブン・ジャパンが運営する「7-Eleven便利店」は1,732店舗で第8位でした。北京・天津(2004年進出)、成都(2011年)ではセブン-イレブン・ジャパンの直接投資により店舗を展開、上海、広東はフランチャイズ運営をしています。上海地区はセブン-イレブンの台湾地区運営権を持つ「統一超商」が、広東(香港マカオを含む)は香港怡和集団(Jardine Matheson)傘下のDairy Farm International Holdings Ltd.,が運営しています。

 

10位に中国大陸全家の運営する「全家FamilyMart」が2,666店舗となりました。ファミリーマートは前年の8位から順位を2つ落としています。2004年に上海に進出、その後広州、蘇州と杭州に店舗を展開しました。2011年、「康師傅」等を傘下に持つ台湾頂新グループが、「ファミリーマート中国」の株式を取得し、日本ファミリーマートと台湾ファミリーマートに代わって、実質的に「ファミリーマート中国」が運営しています。

 

中国国内系の店舗が主に3・4級都市やロードサイトで展開しているのに対し、外資系のコンビニの多くが1・2級都市に集中し、商品や運営・管理方法も異なっているようです。中国に行った際にはコンビニ内をチェックするのも面白いかもしれません。

 

Note「「2022年中国コンビニトップ100」日経トップはローソン」等を参照・整理

 

杭州アジア競技大会の開会式に習近平国家主席が出席しましたが、その前の9月20日、義烏市の後宅街道李祖村、日用雑貨市場「義烏国際商貿城」に足を運び、当地の商店主と交流し、「地域の実情に応じた特色産業の発展、農業の振興、貿易の推進、質の高い発展を促すべきである」といった発言をし、義烏の更なる発展を期待しました。

 

義烏市場は、中国と関係のある人なら知らない人はいないほど、国際的な日用雑貨品取引市場として知られている地域です。今年1月~7月、義烏の輸出入総額は3,211億元になり、そのうち輸出額は2837億元、輸入額は373億元、輸出をメインとしています。「世界の日用商品の首都」として世界230以上の国・地域と貿易を行っています。義烏は新型コロナウイルスのパンデミックを乗り越え、2023年第1四半期の1日当たりの来場者数は20万人で、うち外国人は2000人に達し、コロナ禍前の水準を取り戻しています。

 

義烏市場が活発な理由としてビジネス環境の良さが挙げられます。例えば、実店舗からオンラインへの転換は商品を扱う業者共通の選択ですが、2020年末にスタートしたオンラインプラットフォーム「Chinagoods」は、調達、出荷、税金申告、代金回収等の「ワンストップ」サービスのほかに、業者に国際倉庫、物流、決済、ブッキング等の貿易サービスも提供しています。このサービスは大変好評で、翌年2021年の商品取引額は168億元に達しました。また、業者の提案に基づき、さまざまな機能を付加実装し、「Chinagoods」のプラットフォーム上で取引データが同期されていれば、納品された後すぐに為替決済が可能になり、オフラインで別途手続きを踏む必要はなく、更に「Chinagoods」に商品をアップロードすると、6か国語のオンライン翻訳を利用することができます。

 

当地での会社設立登録の手続きも、市政府が開設したオンラインサービスを利用すれば、20分ほどで完了し、営業許可証は無料で送られてきます。また、義烏市政府は、起業後についても、企業側の問題点を速やかに把握するために、定期的に企業を訪問するだけでなく、各企業に専属担当者を1人配置し、企業側が相談をすれば、電話でアドバイスをしてもらえます。義烏市は外国の業者が多いため、独自の工夫として渉外紛争人民調停委員会(外調委)を設立、語学力に優れ、貿易に精通し、信用のある外国人をトラブルの調停に参加させて、これまでに1000件以上の調停に成功、トラブル解決の成功率は96%としています。

 

また、習近平国家主席が視察した義烏市李祖村は現在「国際文化創客(起業家村)」の建設に力を入れています。外観を改善し、特徴を掘り起こし、農業・文化・農村等に関連する観光プロジェクトを開発し、探求学習プロジェクトを中心に、ライブコマースを通して、新規事業案件を積極的に導入しています。観光客を誘致しながら、起業家の入居も積極的に行うことで村民の収入増や農村活性化につなげています。

 

中国が国策として「一帯一路」戦略を提唱して10年、中国と欧州を結ぶ国際定期貨物列車「義新欧(義烏-新疆-欧州)」中欧班列の営業範囲は、域外の国・地域は50カ国以上、160以上の都市に及び、アフリカや中東アジアとの取引も増加、外部との交流が益々広がっています。

 

義烏のビジネス環境において、今後も活況に成長していけるかは、義烏という町全体の、衣食住や交通のトレンドの変化をとらえ、精力的にイノベーションを起こし、世界に売り込んでいく姿勢が鍵になります。

 

新華社通信「中国浙江省義烏市が「国際文化メイカー村」に」等を参照・整理

自動車のナンバープレートは、日本でもいろいろなタイプがあります。お客を載せる営業車・タクシーは緑色であり、レンタカーは「わ」ナンバーと、最近ではオリンピックバージョンや、花や恐竜等が描かれているものもあり、気をつけて見ているとなかなか面白いものがあります。

 

中国のナンバープレートも色に意味があります。青色は一般的に中国人の所有する普通サイズの自動車やコンパクトカー、黄色は中国人の所有するトラックやバス等の大型自動車両や教習自動車、黒色は領事館や外資系企業等外国人が所有する自動車、白色は軍隊や警察・裁判所が所有する自動車になります。最近では、新エネルギー自動車につけられる緑色のプレートがよく見られるようになりました。

 

一般自動車のナンバープレートは、例えば「浙A・1B123」、「江E・CD456」のように漢字+アルファベット+英数字5文字で綴られます。最初の2文字は登録地を表しています。例えば、「浙」は浙江省、「A」は杭州市を、「江」は江蘇省「E」は蘇州市を指します。続く5桁はもともと数字のみで管理していましたが、中国国内の自動車両が増えるのにともない、5桁の組み合わせでは間に合わなくなり、アルファベットを組み合わせることになりました。一方、緑色のナンバープレートは通常のナンバープレートに比べて1桁多く、3桁目に純電気自動車を指すDか、プラグインハイブリッド自動車を指すFが入ります。

 

新エネルギー自動車の購入には様々な優遇政策があり、購入時に数千元(10万円程度)から数万元(100万円程度)の補助金が受けられます。税金面でも自動車購入税や、自動車税が免除されます。また、一般自動車の場合、地域によっては各期のガソリン自動車台数が決められていて、ナンバープレートの発行数も決められています。自動車にナンバープレートを付けるために、抽選で勝ち取らなければなりませんが、緑色のナンバープレートはそうした制約・制限がないので、いつでも付けることができます。

 

この緑色のナンバープレートを付けた自動車に対して、地域や場所によって様々な優遇措置があります。例えば、橋や高架道路等交通量を調整するため、「この日は末尾が奇数のナンバーのみ通行可能」等のやり方で、通行制限される場合がありますが、緑色のナンバープレートにはその制限が免除されることがあります。その他に駐車場が2時間まで無料等、優遇制度を設けているところもあります。

 

緑色のナンバープレート自体もエコをうたい、無公害の印刷方法で、同時に偽造や盗難を防ぐべくQRコードを使用し、シェーディング印刷により偽造されにくくなっています。また、登録地を示す最初の2文字の後、「E」をモチーフにした印が入り、通常のプレートと比べ質もデザイン性もアップしているようです。

 

中国のナンバープレートは管理性が高く、違反記録等も自動車両ナンバーから検索できます。以前からスピード違反やシートベルト不着用等、ナンバープレートとともに写真に撮影され、自動的に違反が記録され、罰金が引き落とされる、という制度でした。緑色のナンバープレートも出てきたばかりのころに比べ、新たな管理体制が整い、一般自動車と同じようにネットで情報を検索できるようになっているようです。こうした分野においても中国の技術運用と管理体制の普及スピードは目を見張るものがあります。

 

捜狐網「道路上の緑のナンバープレート、どんな意味?」等を参照・整理

日本では梅雨明けが報じられ、いよいよ夏本番、仕事の後の一杯のビールがしみじみとおいしい季節になりました。近年、ビアガーデンや居酒屋以外に、「町中華で633を」といった声がテレビ等で聞かれるようになっています。手軽に中華料理的な小皿をつまみにアルコールを楽しみ、しめにはラーメンを食べて満足、まさに呑兵衛には心強い場所です。

「町中華」というのは明確な定義があるわけではないですが、昔から地域に根ざし愛され続ける、中華料理中心の大衆食堂や日本に来た中国人が始める中華料理店を指すのが一般的で、高級中華料理と区別されています。かつてフリーライターの北尾トロと下関マグロが2014年に「町中華探検隊」という隊を結成し、日本全国の町のラーメン屋さんを巡り、「夕陽に赤い町中華」(集英社インターナショナル、2019年6月5日)を出版しています。それらの活動が徐々に注目され始め、「町中華」という言葉がマスコミで取り上げられるようになりました。

一方、高級感のある中華料理は、店によって四川料理や広東料理のように特定の分野に特化していることが多く、広い店内にぐるぐると回る円卓があり、コース料理も用意されています。料理は本場の味というより日本風にアレンジされた料理に近いものが多く、値段も一皿何千円の単位で、フカヒレや燕の巣といった高級食材を扱い、気楽にちょっと立ち寄る、というよりは、ハレの場に利用する特別感があります。

新型コロナウイルス感染の拡大によって、多くの飲食店が休業や時短営業を余儀なくされ、売上が急減し、廃業に追い込まれる店舗も多く見られました。その一方で、コロナ禍でも客入りを保ち、生き残っている飲食店業種も多く存在し、その一つに「町中華」が挙げられます。「町中華」で提供されるメニューは店によって様々で、一般的な中華料理店で提供される麻婆豆腐やエビチリといった料理を始め、おつまみに最適な本場中国の味の小皿料理や、餃子やラーメン、チャーハン等主食類にわたるまで幅広いメニューが提供されています。

更に店によっては和食や洋食であるはずのカツ丼やカレーライスがメニューに並ぶ店もあり、専門店とは対局にあるバラエティーさがあります。また、値段も500円から1000円が中心で、毎日通っても飽きず、昼食にも夕食時にも気軽に通える町の食堂的存在です。また居酒屋としての役割も兼ね備え、お通し代もいらず、仕事終わりに気楽に一杯飲みたい人に重宝されています。

「町中華」は、何十年にも渡って親から子へ受け継がれてきた老舗店や、中国の青年が起業した個人経営の店舗が中心で、その地域に根づいている場合が多く、よって常連客も多いです。また、接客や調理方法にマニュアルがないため、店主やスタッフそれぞれの人柄が色濃く出ます。店の味は店主によって個性が出て、たとえ暖簾分けの店であっても味が異なり、接客時の形式ばらない受け答えや、個性的な店舗の雰囲気が人を惹きつける魅力となっているようです。

と同時に、老舗の家族経営ということで、店舗は自己所有の物件で家賃が発生せず、家族経営で、人件費が大幅に抑えられる場合も多いです。ただ、そんな筋肉質的な経営がゆえに、後継者がいない問題で閉店する話も耳にします。一人でも、家族でも、仲間同士でも気楽に入って、ほっと一息つける「町中華」は、日本の市民を癒してくれる、頼もしい存在として、定着化しています。

Canaeru「「町中華」から学ぶ、コロナ過でもつぶれない飲食店のヒント」を参照

 

中国の大学全国統一入学試験「高考(ガオカオ)」が6月7日から行われました。今年の全国の受験生は1291万人、去年より98万人増加し、過去最高の受験者数となりました。日本よりも学歴重視傾向の強い中国の高校生にとって、大学入試は一生を左右すると言っても過言ではなく、家族をはじめ社会全体をも巻き込んだ大イベントとなります。7日の試験の最初の科目は「言語(国語)」で、文章の理解力や作文能力が問われました。出題される作文テーマ(一部)から、その年の状況や求められる中国の世相を知ることができます。

テーマ:他人の明かりを吹き消しても自分が更に明るくなることはない。他人の道を塞いでも自分が更に遠くへ行くことはない。一輪だけ咲いても春は来ない、たくさんの花がそろって春が満ちる。

3月の国際会議で習近平主席が述べた言葉からの出題であり、欧米諸国に対して中国独自路線の外交政策を強調した発言でした。中国の国際的な立ち位置を、中国共産党の立場にそった回答が求められる課題のようです。

テーマ:良い物語は、より良い意思表示や意思疎通に役立ち、心を動かし知恵を啓発する。良い物語は、人の運命を変えたり、民族の姿を表現できたりもする。

中国古典の『隆平集』、『韓非子』からの出題があり、それを引き継いだ形で「物語の力」を主題とした課題です。中国古典より正確な「歴史観」、「民族観」、「国家観」を学び取り、愛国感情と民族の自信を高めるように導く意図があるようです。

テーマ:人類は、技術の発展により時間を制御できるようになったが、またそれによって時間の下僕にもなった。

「人と技術と時間」を主題とした課題であり、受験生の理論的、形象的、創造的な思考能力を高め、問題を発見し、焦点を定め論証を展開していく力を求めるテーマです。前述のテーマとは異なり、模範解答がすぐに思いつかず、受験生の好奇心・想像力・探求心を刺激するテーマで、青少年の科学的資質の向上を重要視され、このような問題でその能力を求めているようです。

テーマ:本試験の問題文にある「静かに邪魔されない」という思考は、現代の青少年には珍しくない。学習・生活していく中で自分の空間でリラックス・まったりしたり、成長したりしたいと考える。

「物語の力」と同じく、試験の本文で「静かに邪魔されない」ためにイヤホンを使い続け、突発性難聴を発症した件を記した問題であり、それを踏まえた「青少年の自己空間」を主題とした課題です。受験生が「自己空間」を出発点に自分の生活や成長に対する考え方、親や教師への思いなどを求めているようです。

「言語(国語)」は、「歴史」、「道徳」といった面から政治的イデオロギーを反映しやすい科目ですが、中国教育部の発表でも「国語」の試験について「党の二十大精神を貫き、習近平による新時代中国独自の社会主義思想の指導を堅持し、試験内容を深化させるべき」と言及しています。
6月下旬には、受験生の得点数が通知され、その点数によって志望大学に合格できるか決まります。受験生にとつては、「国語」の作文科目は必須であり、テーマは得点を左右する要素であるため、受験戦争を勝ち抜く中国ならではのテクニックが必要となっているのかもしれません。

海報新聞「2023年大学全国統一試験語学全国試験問題分析」を参照・整理

流行語は、世相(社会現象)を象徴すると言われ、2022年の流行語から中国の社会をうかがい知ることができます。流行語は中国の急速な発展を表す反面、その疲れを癒すようなところもあるようです。

1.励奮発・勇毅前行 (風のように早く、勇敢に粘り強く前へ進む)

党のリーダーシップのもと、国民が一致団結して明るい未来を建設していこう、というまさにスローガン的な言葉が流行語のトップにあげられました。

2.中国式現代化 (中国式の現代化)

中国は鉄道やクリーンエネルギーといった各分野で中国は急速に現代化を進めています。先進国の近現代化との差別化を強調した言葉とも言えます。

3.新賽道 (新レース)

経済面で競争力を高めるために新しい道に進まなければならない、新技術の開発や新工程の模索などを推し進めることで、国を挙げてのレースです。

4.大白 (医療従事者に対する愛称)

コロナウイルスが猛威を振るう中、白い防護服に身を包んだ医療従事者が働いている様子が日本でも報道されました。その姿をディズニーのベイマックス(大白)に例えたことから始まったようで、白い防護服を着た人の愛称となりました。

5.煙火気 (暮らしの匂い)

日常が非日常になったコロナ期を経て、煮炊きの煙のような普段の生活を象徴するような言葉が人の心を慰めるものとして流行しました。汪曾祺の小説「人間煙火最撫人心」のヒットから広まり、入試の作文の課題などにもなりました。

6.天花板(見えない天井)

元々天井板を表す言葉が「トップクラス」を表す言葉として使われるようになりました。端整な顔立ちを「顔値天花板」、コミュニケーション能力に長けていることを「社交天花板」等と使います。

7.拿捏(受け身)

元々掌握する・弱みにつけこむという意味ですが、指先で相手をつまむイメージの動作を指します。魅力ある異性に「掌で転がされてしまった」というように受け身で使われることが多いようです。

8.雪刺客 (アイスクリームの刺客)

冷凍庫からアイスクリームを選んでレジに持っていったら思わぬ高値、でも会計も済む所で仕方なく支払う…安価な物の中に高価な商品を忍ばせるような消費者を欺く行為を「刺客」に例えており、十大ネット用語にも選ばれたユーモアのある言葉です。

9.精神内耗(精神的エネルギーロス)

機械の内部消耗になぞらえ人間の精神・心も消耗しますが、この言葉が流行した背景には2022年7月「村に帰って3日、叔父のおかげで精神の内部消耗が治った」動画の流行で、不自由でも積極的に生きる姿が感動を呼びました。

10.沈浸式 (没入)

近年、博物館で、メタバースで疑似体験をする「沈浸式体験」が流行しました。普段でもほかの世界を遮断して何かに没頭するような状態を「沈浸式」と表します。最適な読書環境で読書をする、化粧に専念する、なども「沈浸式」と言われます。

 

Courage blog「知っていると中国通!?中国の2022年度10大流行語を紹介!」を参照・整理励奮発・勇毅前行 (風のように早く、勇敢に粘り強く前へ進む)

 

「聖闘士星矢」が中国の視聴者に日本のアニメを愛する扉を開いたとすれば、「スラムダンク」は多くのバスケファンにとって啓蒙の先生になりました。1990年代、「スラムダンク」が中国のテレビ画面でスポーツの成長を描いた最初の日本の漫画となり、多くのティーンエイジャーがこの漫画のおかげでバスケットボールに夢中になりました。

1980 年以前、中国では外国のアニメの放送はありませんでしたが、1981 年に最初の外国のアニメ、日本の「鉄腕アトム」が中国の扉を開きました。このアニメは、その豊かな想像力と鮮やかな色で中国に衝撃を与えました。映画とテレビ業界は、中国のティーンエイジャーを視野にしていましたが、当時は中国市場に参入できる漫画は少なく、外国のアニメは中国のローカルアニメに大きな影響を与えることはありませんでした。しかし、外国のアニメ、特に日本のアニメが中国への扉を開き、その新鮮でエキサイティングなスタイルで多くの中国の若い視聴者を魅了したのは、1980 年代半ばから後半にかけてのことでした。

中国の漫画の力不足、産業化の開始の遅れ、漫画の創造的な才能の不足、遅れた技術レベルにより、米国、日本の漫画が中国で広く普及しています。統計によると、1980 年代に中国で制作されたアニメの量は非常に少なく、当時のティーンエイジャーの視聴ニーズを満たすことができませんでした。1日あたり20分の新しいアニメに基づいて計算すると、中国の漫画の年間生産量は7,200分に達する必要があります。1990年代初頭のアニメは1980 年代から 1990 年代にかけて、中国でのローカルアニメの供給は需要に比べてはるかに少なく、当時、なぜ日本のアニメが中国のスクリーンに殺到したのかを理解することができます。 

「スラムダンク」は、1990年から1996年まで「週刊少年ジャンプ」に連載したマンガであり、アジア各国に紹介された後、1997年末に「スラムダンク」が中国上海で放送された後、大きな反響がありました。小中学生が自発的に結成したバスケチームが誕生しました。当時、上海で最大の地元のスポーツ用品店である上海スポーツ用品店は、ゴム製バスケボールが狂ったように売れ、高価なバックボードはほとんど在庫がありませんでした。登場人物は、主役も脇役もそれぞれ個性があり、何年たっても忘れられない作品です。おバカだけど、真面目なところがチャーミングなさくらきみち、無数の女の子を魅了する流川楓、小柄だけど元気な綾子が好きな宮城亮太、でも心強い兄貴・赤城武則などです。「スラムダンク」は人の持つ輝きを大きくし、「問題児」も天才も凡人も平等に扱うという人もいます。理想がある限り、人生は可能性に満ちているはずです。したがって、あなたがティーンエイジャーであろうと、家族とキャリアを持っている叔父であろうと、いつでも自分の可能性を見ることができます。「スラムダンク」は、当時の若者たちの無限の想像力と、自分自身と未来への情熱を満たす、理想主義に満ちた作品です。アニメのリソースが乏しかった当時の中国で、情熱と夢と情熱と面白さに満ちたこの作品は、求められずにはいられませんでした。 

27年の時を経て、「スラムダンク」が映画として再び上演されています。この映画は2022年末に日本で初公開されます。この映画は、今年 4 月に中国で正式に公開されました。最も重要なことは、この映画がまだ多くのファンの懐かしさを感じていることです。多くの人々のバスケットボールの啓蒙と青春の代名詞であるこの映画は、中国土で映画の形で上映されます。視聴者は主にフォローした人です。ドラマと大好きなバスケットボール。 グループ、観客は映画だけでなく思い出も見えます。

 

                              数英デジタル記事・27年の時を経て再び爆発「スラムダンク」を参照・整理

 

中国製スマホは、高機能で安価で手に入れられることから、今や世界で高いシェアを占めている。XiaomiOPPOHuawei等は日本でも販売されている。よく言われる「中国製品は粗悪なので買わない」といった見方は、スマホに限っては当てはまらない。

しかし、最近、その中国スマホの出荷台数は減少傾向にあり、スマホ市場は飽和状態に近づき、スマホに対する消費者の需要は弱まっているといった見方が出てきている。数字を見ても歴然であり、2022年、中国市場向けスマホの出荷台数は28,580万台、前年比で13.2%減少し、10年ぶりに3億台割れとなった。通常1012月期はスマホ販売のかきいれ時であるが、2022年はコロナ禍の影響で年末商戦は不発に終わり、出荷低迷に拍車がかかり、20221012月期の出荷台数は、前年同期比12.6%減の7,290万台だった。

米調査会社のIDCによると、2022年通年のスマホ世界出荷台数は、前年比11.3%減の12億台だった。これは13年以来最も少ない台数である。221012月の世界スマホ出荷台数は3億台で、前年同期から18.3%減少した。6四半期連続の落ち込みで、減少幅は四半期として過去最大であり、221012月の出荷台数は前の四半期(79月期)をも下回った。中国スマホ市場の低迷は、世界全体にも影響を及ぼしている。

このように、昨年、中国スマホ市場は販売台数に停滞が見られたが、2023年は行動制限もなくなり国内景気は上向きになると見られているが、中国のスマホ市場はコロナ禍以前の2020年から継続的に減少傾向にあり、コロナの感染拡大はそれを加速したに過ぎず、すぐには回復していない。なぜか、現在、スマホ市場は均質化され、他のスマート端末の急速な発展や、スマート家電、スマートスピーカー等のデバイスの普及により、スマホの重要性が低下し、以前ほどの市場需要が見込めなくなったとの見方もある。このほかに、販売数が減少した原因は、国内スマホ市場の競争が激化し、市場が飽和状態にあること、買い替えサイクルの長期化、新製品イノベーションの欠如、5Gの推進、製品の過剰な性能によるコストアップ、所得の低下に伴う消費意欲の欠如等があげられる。

スマホメーカーは、自社製品の注目度を高めるため、次々と新製品を出し、中国では1年に2回のモデルチェンジが当たり前となっている。スマートフォンの新機種が1カ月あたり10機種以上発表されているが、代り映えのしない製品は消費者から見向きもされない傾向にある。今、「折り畳みスマホ」、「カメラ機能」、「ゲーム」という3つの分野が注目されているが、消費者はどう見ているのか。

中国市場、世界市場を問わず、スマホの出荷台数は減少し続けた2022年。今年、転換点を迎えられるかどうかは、依然として直面している「市場の飽和」、「技術革新の遅れ」、「性能の過大評価」、「収益の減少」等をどう解決するか、スマホ市場の動静は気になるところである。

(国際商報等を参考に整理)

ビッグデータ産業とは、データの生成、収集、保存、加工、分析、サービスを主業務とする戦略的新興産業で、データ要素のポテンシャルを活性化する重要な支えとなり、経済社会の発展の質の変革、効率の変革、原動力の変革を加速する重要なエンジンとなるものです。中国の工業・情報化部(省)が2021年に発表した「第14次五カ年計画ビッグデータ産業発展計画」では、データに関する先端技術やデータ取引市場の育成を進め、国家のデータ安全を確実に保障することを骨子としており、2025年までに、中国のビッグデータ産業の市場規模は3兆元(約53兆円)を突破し、平均複合年間成長率は25%前後を維持し、イノベーション力が強く、付加価値が高く、独自コントロールが可能な、現代化されたビッグデータ産業システムをほぼ構築するとの見方を打ち出しました。
 
中国政府は、17年施行のインターネット安全法に加え、2021年にはデータ安全法、個人情報保護法を相次ぎ施行しました。3本の法律でデータの統制を強化して海外へのデータの持ち出しを厳しく制限しており、新たな五カ年計画でも外国の制裁などの影響を受けないビッグデータ産業体系の構築を目標に盛り込んでいます。
 
今や世界最先端のビッグデータ集積地となっている貴州省は、2013年に経済政策としてビッグテータに傾倒し始めました。まさに中国の「ビッグデータ元年」と呼ばれる節目の年です。貴州省は、夏も比較的涼しい気候であり、森林カバー率が49%で中国の中では空気がきれいな方です。また、洪水はほとんどなく、台風やハリケーン、大雪などの脅威もありません。さらに水資源も豊富だった点が、データセンターの設置条件に適しており、もともと中国最貧エリアだった貴州省は、クラウドによって変貌を遂げました。
 
そして、中国のビッグデータ産業が急速に台頭したのは、第13次五カ年計画(2016-2020年)期間です。試算によれば、ビッグデータ産業規模の平均複合年間成長率は30%を超え、20年には1兆元を突破し、産業の発展が著しい成果を上げています。第13次五カ年計画以来、北京・天津・河北、上海市、貴州省などにある8つの国家ビッグデータ総合試験区で先行テストが行われ、ビッグデータ分野の国家レベル新型工業化産業モデル拠点が11ヶ所建設・設置され、ビッグデータ産業の集積を力強く推進し、産業の集積によるモデル効果が著しく高まりました。
 
中国のビッグデータ市場規模は、2025年には54兆円になると言われています。データ資産データ資産の権利、その取引と流通、データ・セキュリティなどに関する制度の整備や標準化に取り組み、市場メカニズムに基づく価格形成の促進や、政府の管理・監督の目が行き届くデータ関連市場の仕組み作りが進められています。すでに北京市と上海市に「ビッグデータ取引所」が設立されました。工業情報化省はさらに、通信、金融、医療、交通、都市の治安管理、信用情報、社会保障など12分野の重点産業において、産業分野別のビッグデータ・プラットフォームを構築し、データの資産化と商品化を進める計画です。                
(人民網等を参考に整理)
 

寧波の中心部、天一広場の西側に月湖という名の湖があります。その月湖の西岸に位置するのが天一閣です。天一閣は、中国で現存する最も古い蔵書楼で、寧波を訪れた人を案内するとき、欠かせない場所です。ここに保存された大量の文献は、歴史の空白を補うために大きな貢献をしました。今回は、寧波の文化的な観光スポットである月湖と天一閣の歴史を紹介します。

月湖は、唐代に開拓され、636年に完成した湖です。南宋紹興年間に、月湖の周りに四季折々の花や樹木が植えられ、「月湖十洲」(景勝地)が造られました。また、宋元代以降、明州(寧波)が輩出した文人や学者など知識人の多くが月湖周辺に集まり、「浙東学術センター」と呼ばれるようになりました。その後も、高麗使行館(迎賓館)や、銀台第(官僚の邸宅)が建設され、現在はそれぞれ博物館になっています。 

天一閣は、月湖の西岸にあり、1561年から1566年に明朝兵部の官僚だった範欽が私有の書庫として建てたものです。範欽は読書家で、地方志や行政書、科挙の記録、詩文集などを所蔵していました。範欽が最初に建てた蔵書楼を、「東明草堂」といいます。やがて退官すると彼の蔵書は増え続けて7万余巻となり、新しい蔵書楼を建てる必要性が生まれました。範欽は、『易経』の「天生一水地六承之」の部分の意味(水を借りて防火し書物を保つ)から、「天一閣」と名づけました。命名した通り、蔵書楼の隣に防火のための池を設置しました。 

範欽の死後、天一閣と7万余巻の蔵書は長男の範大冲が、「蔵書は天一閣から出さない」という父の教えとともに受け継ぎました。さらに曽孫範光文が、建物を修復し、花や樹木を植えて楼閣を整備しました。しかし、アヘン戦争や太平天国の乱、日中戦争など戦乱のたびに蔵書が略奪され、売りに出されました。1939年には、蔵書はわずか9,000巻になりました。戦争終結後、天一閣の蔵書は徐々に取り戻されました。1982年になると、蔵書は30万巻となり、蔵書の保護と古籍の修復が行われるようになりました。

現在の月湖公園は、寧波人にとって休日に家族でのんびり過ごす憩いの場です。私も、寧波で暮らしていたころ、公園内の金木犀の香る小道を歩いたり、黄色に輝くイチョウの林を見にいったりしました。月湖公園や天一閣は、他の公園と違い、その風景の中に寧波の歴史の重みや文化の香りを感じられる特別な場所のように思いました。

【天一閣正門】

【月湖公園】

醸造酒の一つである米酒は、もち米を原料に醸造した甘い酒を指します。蒸米、保温、発酵、蒸留、貯蔵とシンプルな工程ですが、これらの工程の背後には、酒造りの杜氏の経験と技術が必要不可欠です。浙江省では、寧波の白糯米酒が知られています。

冬に醸造されるもち米酒

冬に醸造されるもち米酒は、より一層芳醇で濃厚に仕上がり、より好まれます。江南地方には、冬至の日に一杯の米酒を飲むと、来年はより甘い日が訪れるという地元のことわざがあります。特に寧波の人々にとっては、旧正月(春節)のお祝いに、この米酒は欠かせないと言わしめるほどであり、各地で自家醸造の米酒を飲む伝統的な風習があります。

中国の米酒文化の長い歴史の中で、寧波米酒は輝かしい歴史を持っています。歴史的記述によると、約5,000年前、余姚の河姆渡人は飲酒活動があり、唐の時代より明州米酒(寧波米酒)は宮廷献上酒になりました。しかし、1970年代以降、国内の醸造会社がスピードと生産を追求するにつれ、伝統的な白薬発酵を小麦麹と根粒菌に置き換え、野外発酵を鉄樽と大型タンクに置き換え、現代の紹興酒を模倣し、徐々に「昔の味」を失っていきました。衣食住が豊かになると、農民は余った穀物を使って米酒を作るようになり、幸福な生活と豊作を象徴する冬至に米酒を作る習慣が次第に再び盛んになりました。

寧波美食に欠かせない「白糯米酒」

寧波の白糯米酒は、原材料に水・もち米・小麦を使い、寧波天河生態風景区の水源の水が良しとされ、アルコール度数10.5%程度の仕上がりになります。白糯米酒は、味付けが濃い寧波料理にもよく合います。また、料理の調味料として使われることも多くあります。

白糯米酒には、健脾開胃、舒筋活血、除湿消痰、補血養顔、延年益寿の機能があり、中高年者や虚弱者に適し、もち米の成分が漢方薬として甘性温、脾臓・腎・肺に入り、温胃健脾、益気止瀉、生津止汗を促して補益機能を強化するだけでなく、活血通絡の作用もあると言われています。

 

清国政府は国民教育の手段として、万を超える清国留学生を日本へ派遣し、日本政府も国策として、留学生や中国の学校教育をバックアップしていました。しかし、清国政府の思惑とは逆に、啓蒙によって自国の惨状に目覚めた留学生の多くは、体制打倒の革命に走りました。清末の女性革命家・秋瑾(しゅうきん/1875年~1907年)も日本へ留学したその一人です。

秋瑾の原籍は、浙江省紹興府山陰県ですが、彼女の祖父・秋嘉禾が廈門府の長官として赴任し、これに一族が同行したため、福建省の廈門で生まれました。当時の廈門は、イギリスが強制的に開かせた港です。府長官である祖父は、絶えずイギリス人に侮辱され、その怒りが幼少の秋瑾にも伝わっていたと言われています。名家で育った秋瑾は、子どもの時は纏足をさせられていましたが、革命思想に目覚めると纏足を恥じるようになり、代わりに武芸に励み、刀剣(特に日本刀)を愛好していました。母親は、教養豊かな女性で、秋瑾は11歳で詩を詠むことを覚え、杜甫・辛稼軒の詩詞集を手放さなかったといいます。その傍ら、乗馬や撃剣・走り幅跳び・走り高跳びなどで体を鍛えていました。

1895年、親が決めた湖南省の豪商の長男・王廷鈞と結婚し、北京に住み子供もできましたが、酒浸りの夫に愛想を尽かし、やがて日本留学を志すようになります。多くの知識青年が、国内での弾圧を避けるとともに、外国文化を吸収する窓口として、先進国である日本に留学し、横の連絡を取り合ってそれぞれの立場に応じた革命結社を結成していました。

人一倍知性と気骨に恵まれた秋瑾は、この祖国の危機を打開する運動に挺身する必要があると考えていました。日本の女子教育が、中国より進んでいることなどを聞いたりしたことが、彼女の留学熱に拍車をかけ、1904年家族を置いてついに日本へ留学し、松本亀次郎がいる弘文学院に編入しました。後に反清革命運動に身を投じるようになり、孫文が率いる革命団体「中国同盟会」に参加したり、また女性だけの「共愛会」も創設したりしています。当時の秋瑾は、清服を嫌って、和服を着用し、好んで短刀を身につけていました。その後、実践女学校(現実践女子大学)に入学し、教育・工芸・看護学なども学び、麹町神楽坂の武術会にも通い、射撃を練習し、爆薬の製法まで学んでいました。しかし、中国革命運動に対する取締りが強化され、1905年日本政府が出した、「清国留学生取締規則」に憤激して留学を打ち切り、同年12月に帰国しました。1907年、徐錫麟が紹興で作った体育専門学校「大通師範学堂」の後任の責任者となり、革命運動に参加し、当局に目をつけられるようになり、蜂起計画を察知されて逮捕され、翌日、紹興軒亭口の刑死場で斬首、処刑されました。31才の若さでした。その後、秋瑾の死は、新中国黎明期の革命運動の精神的支柱となりました。

【日本留学時代の秋瑾】

【松本亀次郎】

中国の「国考」と呼ばれる国家公務員試験は、超難関といわれています。毎年、10~11月の間に実施され、2009年に国家公務員試験の出願者数が初めて100万人を超えて以来、その後10年余りの出願者数は年々増え、いずれも年間100万人以上となっています。昨年は、書類審査を経た受験者数が初めて200万人を突破し、倍率はなんと約68倍でした。2023年度の国家公務員試験は、採用規模は3万7100人で、募集職位は合計1万7655の職位が設けられており、主に税務、消防、税関、鉄道警察等に集中しています。4年連続で採用が拡大されていますが、人気職位の応募倍率は、なんと6000倍近くにもなっています。

今年の国家公務員試験は、大きな特徴が2点あります。一つは、採用政策が新卒者に偏っていること、もう一つは、職位に対する学歴、専攻、職歴等の要求がより具体的になったことです。これにより、出願者は自身の状況に照らして、より自分にマッチした職位を選択できるようになりました。一部の職位では、学歴要件の引き下げ、専攻要件の緩和、勤続年数や経歴の制限なし等の措置が取られ、受験のハードルが下がったことも、一部の職位の人気を高めている原因です。

新型コロナウイルスの感染拡大による景気低迷等で、中国での不動産産業やIT関連等の民営企業は業績不振となっています。中国の公務員試験で、採用条件に「実務経験」を問うものが多く、日本のように新卒優先ではないことから、民営企業である程度の専門的スキルを身につけた人々が公務員試験に挑んでおり、競争の激化につながっています。

また、中国では、大学の新卒の人数が年々増加し、就職難が顕著になってきています。これまでは景気が良かったため、就職はそれほど難しくはなく、名門大学を出れば、国家機関や有名な大手企業に就職ができる人も多くいました。しかし、ここ数年は、雇用市場が大卒を吸収しきれなくなってきており、大学新卒者の就職率は20%を割り込んでいます。2020年の大学新卒者は874万人で、約700万人は就職浪人となっており、その一部が公務員試験を受験しているとみられます。大学を卒業したが、希望する仕事が見つからなかったため、とりあえず大学院へ進学するという動きも活発になってきています。昨年の大学院の受験者数は457万人に達し、2020年より80万人増え、過去最多記録を更新しました。しかし、修士課程の学歴を取得しても、それに見合った仕事に就くことができない人も増え、「高学歴貧乏」等と言われたりしています。

公務員は、鉄でできている飯の茶碗、(*中国語で「鉄飯椀」)と言われ、転じて『絶対に潰れない職場の安定した職』という意味です。実際、公務員の離職率は毎年0.05%で、よほど自ら過ちを犯さない限り、職を失うことはほとんどありません。こうした背景から、公務員人気は過熱しています。しかし、一方、公務員でも消防局や統計局調査隊(日本の国勢調査調査員に相当)、鉄道警察官等危険が伴うポストは不人気です。深刻な就職難により、若者は「安全・安定・安泰」の職業を求めるようになってきていると言えます。

(AFPBB News等を参考に整理)

近年、グローバル化を背景に、さまざまな人材が動態的に流動しており、海外移住する中国人も増加しています。新型コロナウイルスの影響はありますが、国連移民局が発表した「World Migration Report 2022」によると、中国から他国へ移民した人は約1,000万人、中国は世界四大の移民送出国の一つとなっています。

具体的な移民先を見ると、中国は米国への移民では第2位の移民送出国であり、カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・英国への移民では、第1位の移民送出国です。また、ドイツへの留学生送出国としては、中国が第1位となっています。

しかし、中国移民が直面する問題も多々あります。例えば、ここ数年来、先進国の経済は相次いで回復していますが、失業問題は依然として厳しい状況にあります。また、就職した移民の中には、仕事の実施の需要よりも専門技能が高く、仕事と学んだ専門技能が一致しないような状態にある人も多くいます。就業していても、実際の能力や仕事の経験が十分に発揮されていないことも珍しくありません。

中国の国際移民受入国としての面を見てみると、中国も国際移民を受け入れるようになってきました。現在、主に韓国、米国、日本、ミャンマー、ベトナムなどから来た外国人約85万人が中国に住んでいます。中国の第7回全国国勢調査(2020年実施)の結果によると、登録されている外国人は 845,697人。目的は、77,008人が事業、444,336人が就職、219,761人が留学、419,517人が定住、74,735人が親族訪問、195,338人がその他となっています。

滞在地域分布をみると、外国人常駐人口の上位10省は、広東省418,509人、雲南省379,281人、上海市163,954 人、福建省106,248人、北京62,812人、江蘇省58,201人、浙江省46,189人、広西チワン族自治区26,043人、山東省21,829人、遼寧省20,562人となっています。

中国経済の急速な成長と低い生活コストが多くの国際移民を誘引しています。また、多くの多国籍企業や海外に進出している中国の国有企業に外国人従業員を雇用する機会があることや、賃金収入を見ると、アジアの中で中国は最も外国人に人気がある国であることなどが理由として挙げられます。中国政府の人材強国戦略の実施に伴い、各種の海外ハイレベル人材を引きつける計画、政策が続々と登場し、ハイレベル人材の中国在住者も増加しています。しかし、海外から人材を呼び込んだ後、その人材を引き留めるためには、世界トップクラスの産業構造と生態環境、コミュニティ環境などの整備が必要となってきています。

活発な国際移民の状況は、中国の移民政策に対して、中国国内の人材を引き留めることや、多国籍人材を引き付けることの二重の要求をもたらしています。他の先進国と比べて、中国の移民法律政策は依然として系統性、規範性、展望性では強くない状況にあり、今後、関連法律の制定などまだ多くの課題があり、今後、必要な整備をしていく状況があるといえます。

 (騰訊網などを参考に整理)

寧波で最も活気にあふれた天一広場からほど近いところに、鼓楼があります。これは、中国の城郭都市に建てられた太鼓を設置するための建物で、太鼓は時刻や緊急事態を知らせるために鳴らされました。寧波の鼓楼は、唐の長慶元年(821年)、明州子城の南門に建てられた最も歴史のある建物です。とはいっても、何度も破壊と再建をくり返し、現存する建物は、1855年に再建されたものです。

鼓楼

鼓楼の門をくぐると、広い商業エリアが広がっています。ここは小吃店(軽食堂)をはじめ、お菓子、雑貨、切り絵、絵画、刺繍、彫刻、楽器などを売る大小さまざまな店舗が並んでいる鼓楼歩行街です。寧波物産店は 2階建てで、果物や銘菓、それに寧海の黒豚の肉や海産物なども販売していました。メイン通りだけでなく、いくつもの路地があり、かなり広いエリアです。同僚の案内で、商業エリアの一角にある茶葉の専門店や、肉や魚、野菜が並ぶ巨大なセンター市場へも出かけました。

何度か訪れるうちに、近くにある天一広場とはだいぶ雰囲気が違うことに気づきました。若い世代に人気のあるブランド品などは見当たらず、浅草の仲見世通りのような庶民的な雰囲気を感じるのです。同僚によれば、鼓楼のエリアは、寧波を代表する伝統的な食や文化が集まるところだそうです。商店だけでなく、絵画や楽器演奏などの教室があり、文化活動の集散地でもあるようです。だから老寧波人(寧波に生まれ寧波で育った人びと)が懐かしさや親しみを感じ、好んで出かけるということなのです。そういえば親しくなった茶器専門店の女性店主は老寧波人で、よく訪ねてくる客人もまた老寧波人でした。2人の会話は、普通話(北京語)ではなく、寧波話(寧波語)でした。鼓楼地区の周辺には、宋、元、明代に使用された倉庫跡(永豊庫跡地)や城壁遺跡、少し離れたところには、中国で最も古い図書館である天一閣などが点在しています。街中にある遺跡や歴史的な建造物は、寧波の人びとの日常と同居していて、不思議なくらい違和感がありません。

洗練されたおしゃれなショッピングエリアの天一広場近くに存在する、古きよき老寧波の風景。油賛子(伝統的なお菓子)や切り絵、玩具などがならび、老寧波人が散策する通りや路地。鼓楼は、寧波の歴史や文化の重みを感じるこのエリアの象徴なのです。

 
鼓楼エリア
寄稿:横井香織