寧波の中心部、天一広場の西側に月湖という名の湖があります。その月湖の西岸に位置するのが天一閣です。天一閣は、中国で現存する最も古い蔵書楼で、寧波を訪れた人を案内するとき、欠かせない場所です。ここに保存された大量の文献は、歴史の空白を補うために大きな貢献をしました。今回は、寧波の文化的な観光スポットである月湖と天一閣の歴史を紹介します。

月湖は、唐代に開拓され、636年に完成した湖です。南宋紹興年間に、月湖の周りに四季折々の花や樹木が植えられ、「月湖十洲」(景勝地)が造られました。また、宋元代以降、明州(寧波)が輩出した文人や学者など知識人の多くが月湖周辺に集まり、「浙東学術センター」と呼ばれるようになりました。その後も、高麗使行館(迎賓館)や、銀台第(官僚の邸宅)が建設され、現在はそれぞれ博物館になっています。 

天一閣は、月湖の西岸にあり、1561年から1566年に明朝兵部の官僚だった範欽が私有の書庫として建てたものです。範欽は読書家で、地方志や行政書、科挙の記録、詩文集などを所蔵していました。範欽が最初に建てた蔵書楼を、「東明草堂」といいます。やがて退官すると彼の蔵書は増え続けて7万余巻となり、新しい蔵書楼を建てる必要性が生まれました。範欽は、『易経』の「天生一水地六承之」の部分の意味(水を借りて防火し書物を保つ)から、「天一閣」と名づけました。命名した通り、蔵書楼の隣に防火のための池を設置しました。 

範欽の死後、天一閣と7万余巻の蔵書は長男の範大冲が、「蔵書は天一閣から出さない」という父の教えとともに受け継ぎました。さらに曽孫範光文が、建物を修復し、花や樹木を植えて楼閣を整備しました。しかし、アヘン戦争や太平天国の乱、日中戦争など戦乱のたびに蔵書が略奪され、売りに出されました。1939年には、蔵書はわずか9,000巻になりました。戦争終結後、天一閣の蔵書は徐々に取り戻されました。1982年になると、蔵書は30万巻となり、蔵書の保護と古籍の修復が行われるようになりました。

現在の月湖公園は、寧波人にとって休日に家族でのんびり過ごす憩いの場です。私も、寧波で暮らしていたころ、公園内の金木犀の香る小道を歩いたり、黄色に輝くイチョウの林を見にいったりしました。月湖公園や天一閣は、他の公園と違い、その風景の中に寧波の歴史の重みや文化の香りを感じられる特別な場所のように思いました。

【天一閣正門】

【月湖公園】