中国では、歴史上、「楊貴妃」、「西施」、「王昭君」、「貂蝉」が四大美女といわれています。貂蝉は、中国の四大美女の中では、おそらく唯一架空の女性です。『三国志演義』(3世紀・三国時代、約100年の乱世に活躍した英雄を語る小説)に登場する貂蝉は、聡明、美貌、技芸に優れた女性です。憂国の思いで月を眺めているとき、そのあまりの美貌に、月さえも雲に隠れてしまった逸話から、別名「閉月美人」とも呼ばれています。

『美女連環の計』(三国志演義より)

『三国志演義』では、後漢(25年〜220年)の献帝の大臣・王允が、美女(王允の養女・貂蝉、年齢は数え年で16歳)を使って陥れる「美人計」と、仲を裂く「反間の計」の二つを使った策略「美女連環の計」を企て、董卓の殺害に成功します。これは、時代が動く見せ場の一つとなっています。


物語:貂蝉は王允の企てを承諾し、王允は貂蝉を娘として呂布に引き合わせます。呂布は彼女の美しさに心奪われ、側室として彼女をもらい受ける約束をします。さらに王允は、貂蝉を董卓にも会わせ、彼もまた彼女の美貌に心奪われます。貂蝉は迫真の演技を繰り広げ、呂布の董卓への憎悪をかき立てていきます。やがて呂布は王允に打倒董卓をそそのかされてその気になり、登城の途中で董卓を倒します。その後、呂布は貂蝉を側室として迎え入れましたが、徐州下城で敗れ、処刑されました。貂蝉をめぐる記述はここで終わっています。民間伝承や創作物では、曹操に引き取られたとか、関羽と恋仲になるも自害したなど、色々な説があります。


日本にも中国にも多くの貂蝉ファン

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『三国志演義』に貂蝉が登場するのは、この場面だけですが、貂蝉は秘密が漏れれば命を奪われる可能性があったにもかかわらず、最後まで王允との約束を守り、自分の感情に流されず使命を全うする「智」と「勇」の人で、美人であるだけでなく、儒教的道徳観からみても優れた人物として描かれています。


『三国志演義』は、中国人からとても愛され、広く読まれている物語です。貂蝉が四大美女に選ばれたのは、ほとんど男ばかり登場するこの物語の中で、たいへん美しく、しかも男顔負けの度胸を持っていたことが、中国の民衆の心をとらえたからといった見方があります。
貂蝉の最期は、作品によって、さまざまに解釈されていますが、吉川英治の小説『三国志』では、「忠」・「孝」・「貞」の価値観を再現するために、「連環計を果たした貂蝉は自害した」と表現していると言われ、日本にも多くの貂蝉ファンがいます。