今年も秋から冬に季節が変わる中、新米を楽しむ方も多いと思います。日本ではお米生産は自国で行われていますが、海外からの輸入が増えています。中国でも新米が市場に出回るようになり、14億の巨大人口を支えるべく、お米の生産効率を高める政策を積極的に打ち出し、様々な技術を導入するため、モデル田で試験的な生産に取り組んでいます。

例えば、湖南省邵陽市には「再生水稲」のモデル田があります。「再生水稲」とは一度収穫した水稲の茎を利用して再び収穫する方法で、1回の田植えで2回の収穫を目指すものです。この水田では1ムー(6.67アール)当たりの平均収穫高が562キロに達しました。また、四川省涼山イ族自治州徳昌県で行われたスーパーハイブリッドライスのモデル田では1ムー当たりの平均生産量が1251キロと測定され、ハイブリッドライスの四半期ごとの1ムー当たりの生産量の世界新記録が更新されました。

ハイブリッドライスの誕生は、アメリカ人ヘンリー・ビーチェルが1963年にインドネシアで初めて成功したところに遡ります。ヘンリー・ビーチェルは1996年に世界食糧賞を獲得しました。日本では1969年に琉球大学の新城長有がハイブリッドライスの種子生産に必要な細胞質雄性不稔を実用化、その後、1981年からは農水省のプロジェクト研究でハイブリッドライスの研究開発を進める等ありましたが、どちらかというと増収より減反に重きを置きました。

1972年、日本と中国の国交回復の機運が高まる中、当時の日中国交回復促進議員連盟と農林省は、深刻な食糧不足に悩まされていた中国に、新城長有のハイブリッドお米を中国の視察団に贈呈し、中国は食糧増産として、ハイブリッドライスに着目します。当時あまり注目されなかった新城長有の技術を引き継いだのが、中国のハイブリッドライスの父と呼ばれる袁隆平でした。袁隆平は1971年から湖南省農業科学院のハイブリッドライス研究に従事、その後1984年には全国的な専門研究機関として、湖南ハイブリッドライス研究センター(のちに国家ハイブリッドライス工程技術研究センター)が設立、袁隆平はセンター主任に就きます。1997年にはスーパーハイブリッドライスの技術計画を示し、2000年から2011年までの三期に分け、それぞれ1ムー当たり生産量700キロ、800キロ、900キロの目標を次々とクリアし、2014年第四期には1000キロの目標を達成しました。

袁隆平のハイブリッドライスは人口が増え続けた中国の食糧を下支えしただけではなく、グローバルな食糧問題解決にも役立ってきました。1990年代の初め、国連食糧農業機関(FAO)は、ハイブリッドライスの普及を発展途上国の食糧不足問題を解決する戦略的措置の一つに組み入れ、袁隆平を首席顧問に任じました。袁隆平を長とする中国のハイブリッドライスの専門家たちは何回も、ベトナム、ミャンマー、インド、フィリピン、バングラデシュ、スリランカ、パキスタン、ブラジル、ブルネイなどの国々へ赴き、ハイブリッドライスの指導と援助を行いました。

より効率的に、より良いものを生産するために技術を駆使してテストを重ね、その成果を広げ収益につなげていく、どうしても電子機器や自動車生産のような工業分野に求めがちです。しかし、食糧問題が楽観視できない今、ハイブリット農業への積極的な取り組みが求められています。袁隆平の生涯にわたるハイブリッドライスへの態度から学ぶべきことも多そうです。

農業協同組合新聞「恐るべし中国のコメ戦略」等を参照・整理