パンダ、中国語では「熊猫(ションマオ)」と言えば中国を代表する動物ですが、その名は実は英語を基にしています。ご存じのように英語はPanda、そして、顔が猫のよう、体は熊のようなので、またの名をCat Bearと呼びました。その猫と熊を組み合わせ「猫熊(マオション)と言われるようになりました。では、なぜ前後がひっくり返ったのか、1944年重慶の中国西部科学博物館に展示された時、横書きで「猫」「熊」と書かれた説明を見て、参観者は右から左に「熊猫」と読んだために、「熊猫」が一般的になりました。台湾では「猫熊」を使うことが多いようです。

パンダは1800年代後半から1900年前半にかけ毛皮の珍しさが重宝され、主に欧米の狩猟家により乱獲されます。その後、その姿の愛らしさから生きたまま海外に運ぶことが試みられますが、大半は目的地に着く前に命を落としていきました。急速に頭数が減り、絶滅の危機に晒されます。中国政府が本格的にその対策に乗り出したのが1992年、パンダの保護とその生息地建設の10か年計画を開始します。四川省に作られたパンダのための人工林は有名です。その甲斐があって、1980年代には1100頭ほどだった野生パンダの数も2024年には1900頭ほどにまで増え、また飼育されているパンダも全世界で728頭(2024年1月)と発表されています。

パンダが初めて海を渡ったのは1936年、アメリカ人が生け捕りにしたパンダを国に連れて帰ったことでした。大人気となったことに目をつけた当時中国の国民党政府が、アメリカに2頭のパンダをプレゼントします。それが「パンダ外交」の始まりです。1970年代になると活発化し、日本にも1972年国交正常化と共に上野動物園に康康・カンカンと蘭蘭・ランランがやってきました。1984年にはワシントン条約によりパンダの海外取引は原則禁止、学術研究目的でのみ輸出入が可能となりました。

それでも、「プレゼント」ではなく、「レンタル」される形で「てパンダ外交」は依然として続けられています。輸入国はパンダの保護や研究資金のため、1ペア当たり年間100万ドル程度の中国への支払いが必要となりましたが、パンダの愛らしさは格別、所有権がなくても、レンタル料を払ってでも、動物園にいてほしい、ということです。まさに「友好の使者」であり、「最高の外交官」の役目を果たしています。

日本では、上野動物園で大人気だったシャンシャンが出産適齢期を迎え中国へ、また和歌山アドベンチャーワールドの永明が16頭もの子供をもうけた後に中国帰国したこと等記憶に新しいですが、パンダの人気は衰えることがありません。2024年6月31日現在で、上野動物園4頭とアドベンチャーワールド4頭、合計8頭いますが、2011年を最後に中国からのパンダは来ていません。一方で、中国政府は欧米の国々にパンダをレンタルし、関係改善、険悪ムードの緩和に役立てているようです。

可愛い仕草や表情の中に、人間たちの思惑を潜ませながらパンダ外交は続くのでしょうか。

九州大学附属図書館「パンダと人間:パンダの歴史」等を参照・整理