浅田次郎、中国の旅

第117回直木賞受賞(1997年上期)『鉄道員』の浅田次郎(1951年〜)は多感な青年期に漢詩に感銘を受け、次第に漢文に親しむようになり、中学時代に、東洋史の泰斗・宮崎市定教授(1901年〜1995年)の著作『宮崎市定全集』に巡りあい、後の著作活動に少なからぬ影響を受けています。      

*宮崎市定教授;中国の科挙制度と官僚制度に関する論考が著名=============================================================================
浅田次郎は、中学2年の時、国語の先生が漢詩を読み下し文で読んだ時に「なんだ、この美しい言葉は!」と感じ、「外国語なのに、言語に返り点をつけて日本の構文に直して読み下したら、非常に美しい文章になり、その上、言わんとしている内容まできちんと伝わってくる。そうした言葉の変換の不思議さにどんどん惹かれていった」と語っています。浅田次郎は、清朝末期を描写した小説「蒼穹の昴」、「珍妃の井戸」、「中原の虹」、「マンチュアン・リポート」、「天子蒙塵」を書いています。「蒼穹の昴」は、架空人物・金持ちの放蕩息子・梁文秀(科挙試験に状元合格、光緒帝に仕える)と貧乏な家の息子・李春雲(宦官、御前太監、西太后に仕える)がそれぞれの立身出世の物語です。実在の光緒帝、西太后をはじめとする人物とともに物語が進んでいき、科挙のシーンでは、史料を読み込み、まるで実際に体験したかのように、科挙試験の様子を活写しています。


「蒼穹の昴 <科挙登第>」より---------------------------------------------------

「友達と呼ぶには畏れ多いがね。こちらは去年の直隷郷試の経魁、王逸君ですよ」へえ、と老生は王逸の鮮やかな藍衣を眺めた。経魁とは郷試及第者のうち上位五名に与えられる尊称である。「直隷省の経魁!それはすごいの。合格確実じゃわ」王逸は応挙七十年の老生を見くだすように、鼻で笑った。「何も珍しいことじゃあるまい。ここにはどこそこの経魁だけで何百人もいるんだ」「ごもっともじゃ。かくいうわしも、何を隠そうもとは杭州府の経魁じゃて」老人は笑いながら咳きこんだ。文秀と王逸は顔を見合わせた。浙江省杭州府といえばかつての南宋の都、古くから多くの大吏高官を輩出する学芸の地である。同じ経魁といっても杭州のそれは当然水準が違う。

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画像1.png 【南京の江南貢院(当時)】

清の光緒年間(1875年〜1908年)、南京の江南貢院と北京の順天貢院は中国で最大の中国の官吏登用試験「科挙」試験場であり、北京の順天貢院は既になく、南京の江南貢院は中国科挙博物館になっています。杭州の「科挙、郷試」試験場・杭州貢院は、その跡地に杭州高級中学(重点学校)があります。(科挙制度は隋の時代に始まり、約1300年にわたり歴代王朝で続けられた官吏登用制度、1904年7月4日に行われた殿試が最後の科挙試験となりました。)史料によると、明清時代、科挙試験の「人」、「進士」、「状元」合格者は江蘇省、浙江省の出身者がほぼ半々で占められていました。今も、綿々と優秀な人材を輩出しています。