司馬遼太郎、江南の旅

司馬遼太郎(1923〜1996)といえば、国内を代表する歴史小説家として知られ、多くの歴史小説を書き残しています。司馬遼太郎は、幼いころ『左伝』や『史記』などをよく読み、『論語』も『孟子』も日本の古典として親しみ、中国や朝鮮の歴史にも造詣が深く、これらのアジアの国々をとても愛していました。中国の江南地方(長江下流の南側に広がる肥沃な地域)を訪れ、中国見聞録「街道をゆくシリーズの中国・江南のみち」を書いています。

 

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司馬遼太郎が戦後はじめて中国を訪れたのは、当時、まだ文化大革命中の1975年です。西安・上海・北京を訪問団の一員として訪問した時の紀行記「長安から北京」を書いています。1981 年に再び中国を訪れ、後に「街道をゆくシリーズの中国・江南のみち」を書いています。この時、訪れた場所は、蘇州の盤門、宝帯橋、杭州の岳飛廟、西湖、龍井、霊隠寺、塩官鎮、紹興の魯迅故居、禹陵、そして寧波では三江口、天童寺。江南地方を代表的都市を巡りながら、日本にとって「文明の灯台」だった中国について、考えを深めて、思いを馳せています。

杭州では、そこに都をおいた南宋と日本との関わりについて考えたり、龍井の茶畑を見て、中国茶の日本への影響について考えたりしています。司馬が訪れた岳王廟は、西湖蘇堤の北辺、北山路にある有名な旧跡で、南宋の武将・岳飛(1103〜1142)が祀られています。「岳王」という王号は、岳飛の死後に贈られたもので、今でも漢民族の英雄として称えられています。また、西湖の白堤を見て、「湖畔に柳の植わった遊歩道があり、湖が美しい。花と水の公園に包まれた町だと聞いてきたが、なるほどそのようであった。」と称賛しています。

 

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最後に訪れた寧波では、遣唐使や鎌倉時代の留学僧らが上陸した港や天童山を訪ねています。司馬が訪問した頃はまだ、「ジャンク船」という中国商人が利用した、三本マストで角形の帆が特徴の木造船も、多数運航していました。遣唐使から始まり、鎌倉・室町時代の貿易船は、主に寧波(唐・宋の時代は、“明州”と呼ばれていた)に着港しており、日本の歴史と極めて深い関係を持つ寧波を見ることは、司馬の願いでした。それが叶い、岸壁に立ったときの感激をこう伝えています。「河港の岸に立つと、血の騒ぎをおぼえざるを得ない。平安初期に入唐した最澄や空海もこの河港を知っていたし、鎌倉期には日本臨済宗の祖、栄西も私どもが立っている場所の土を踏んだ。」と悠久の歴史を心に刻みました。