芥川龍之介、西湖の旅

芥川龍之介.jpg明治の文豪・芥川龍之介は、子供の頃より『西遊記』、『水滸伝』などの中国古典文学を愛読し、中国古典から培った素養により、悠久の歴史を持つ中国大陸の風景に憧れを持っていました。1921年、大阪毎日新聞の海外視察員として、中国へ約3ヶ月派遣され、3月20日に上海に上陸し、上海・杭州・南京・九江・漢口・長沙・洛陽・大同・天津などを遍歴し、7月上旬に帰国し、後に見聞記「中国游記」(中国紀行)を書き記しています。

 

芥川の目に映った現実の中国は内憂外患であり、芥川にとって、憧れの中国認識を打ち砕くものでした。思い寄せていた中国風景になかなか出会えず、却って中国伝統文化の没落な光景や、場違いのような西洋化された風景をよく見かけたため、自国の文化を疎かにして、西洋の合理主義を追求することに対して嘆かわしいと記しています。しかしながら、1920年代〜30年代は、上海は極東最大の都市となり、東洋の魔都とも呼ばれ、人々の憧れの街となり、人を魅了していった頃です。


新新飯店.png芥川は、5月2日から2泊3日、杭州を訪問しています。当時は現在と違い、約5時間かけて列車に乗り、着いたのは夕方7時頃です。宿泊ホテルは、西湖の畔にある今日も現存営業し、オールドホテルとして知られている「新新飯店」です。場所は杭州シャングリラホテルの近くにあり、良い位置に立地しています。


芥川は、杭州駅から人力車でホテルまで向い、車中から見た最初の西湖の風景は、今日のような賑わいはなく、「人も犬もいなく、寂しい」と記し、期待したほどもないとがっかりしています。しかしながら、ホテル到着後に西湖周辺を散策し、夜であったこと、月明かりに照らされた西湖をみることができたからか、「西湖、私はこの瞬間、如何にも西湖らしい心持ちになった。茫茫と煙った水の上には、雲の中空から、幅の狭い月光が流れている。いつまでも西湖をみいっていた」と情緒豊かに表現し、感動しています。