新中国黎明期の激動の時代を生きた 周恩来

 中華人民共和国が建国された1949年10月1日以来、死去するまで一貫して首相をつとめ、毛沢東の信頼を繋ぎとめた周恩来(1898−1976年)。1972年に日本国首相の田中角栄(当時)と日中共同声明に調印したことでも知られています。

紹興、淮安、天津 

 周恩来は、1898年3月5日、江蘇省淮安県に生まれました。周家は元々魯迅と同じ浙江省紹興市を原籍地とする旧家で祖父の代に江蘇省淮安に移ったと言われます。周恩来は「自分は紹興人である」と度々発言しており、特別のおもいれがあったことがうかがえます。

 青年期、清朝が倒れ、革命の息吹が漂い、天津の南海中学を卒業後、1917年に日本へ留学し、東亜高等予備高校などに通いました。その後1919年に帰国し、政治活動に身を投じます。南海大学卒業後、祖国を救う道を探すという強い希望に燃えフランスへ留学し、急速に共産主義思想に目覚めていきます。1976年の死去まで中国の指導者として活躍し、特に外交を中心に大きな役割を果たしました。

松本亀次郎と周恩来

 周恩来が日本に留学した頃、日本を通じて西洋の近代文化を学ぼうとする、中国の若者が大勢やってきました。中国人留学生に対する日本語教育に生涯をささげたのが松本亀次郎です。掛川市出身の松本亀次郎は、中国人留学生のために設立された宏文学院で日本語教師をした後、37歳の時、1914年に東京で中国人留学生が学ぶ「東亜高等予備高校」を設立し、約40年にわたって中国人留学生約2万人に日本語を教え、その教え子の中には、中国初代首相の周恩来や文豪の魯迅なども含まれ、特に周恩来は自宅へ頻繁に招くほど親密な関係だったとされています。

 天津市にある「周恩来ケ穎超記念館」の元館長から、松本亀次郎の子孫に打診があったことから始まり、今年3月、関係者の尽力により、松本亀次郎と周恩来の等身大のろう人形が掛川市に寄贈されることになり、掛川市立大東図書館に設置されています。

 

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     【周恩来】     【浙江省紹興市にある周恩来記念館】